平成29年1月18日(平成28年(行ケ)第10005号)(知財高裁第1部,設樂裁判長)
「…平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸…を…含有する…眼科用清涼組成物」というクレーム文言について,「平均分子量」が「重量平均分子量」「粘度平均分子量」のいずれを示すものであるかにつき、本件明細書にこれを明らかにする記載は存在せず,本件出願日当時の当業者の技術常識を参酌しても,いずれであるかを合理的に推認することができないのであるから,明確性要件違反(特許法36条6項2号違反)であるとして,無効不立審決(無効2015-800023号)が取り消された。
本判決は,以下のような考慮要素を検討した。
(※平均分子量を,「重量平均分子量」と解釈する方向の考慮要素)
(1)本件明細書には,「コンドロイチン硫酸」以外の高分子化合物(ヒドロキシエチルセルロース,メチルセルロース,ポリビニルピロリドン,ポリビニルアルコール)の平均分子量として,「重量平均分子量」が記載されていた。
(2)多数の特許公開公報において,高分子化合物の平均分子量が「重量平均分子量」によって明記されている。
(※平均分子量を,「粘度平均分子量」と解釈する方向の考慮要素)
(1)本件明細書に「マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」という記載がされているが,本件出願日当時,マルハ株式会社が販売していた物は,重量平均分子量2万~2.5万程度,粘度平均分子量6千~1万程度であったから,客観的には粘度平均分子量の数値を示すものであると推認される。
(2)マルハ株式会社は,本件出願日当時,コンドロイチン硫酸ナトリウムの製造販売を独占する二社のうちの一社であって,コンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を粘度平均分子量のみで測定し,ユーザーから問い合わせがあった場合には,その数値(6千~1万程度)を提供していた。
(結論)
⇒当業者は,本件出願日当時,本件明細書に記載されたその他高分子化合物(ヒドロキシエチルセルロース,メチルセルロース,ポリビニルピロリドン,ポリビニルアルコール)については重量平均分子量で記載されているものと理解したとしても,少なくとも,コンドロイチン硫酸ナトリウムに限っては,直ちに重量平均分子量で記載されているものと理解することはできず,これが粘度平均分子量あるいは重量平均分子量のいずれを意味するものか特定することができない。
1.明確性要件違反の決め手となった明細書中の記載と,推奨される記載方針等
本事案は,出願当時に「平均分子量」として「重量平均分子量」及び「粘度平均分子量」が存在したにもかかわらず,明細書にいずれを意味するかを特定できるように記載しなかったため,明確性要件違反と判断された。
判決によれば、その他高分子化合物(ヒドロキシエチルセルロース,メチルセルロース,ポリビニルピロリドン,ポリビニルアルコール)について「重量平均分子量」を記載しているものと当業者が理解するとされており,出願人は、「コンドロイチン硫酸ナトリウム」についても、高分子化合物の分野で通常使用されている「重量平均分子量」を意図していた可能性がある。
しかし,マルハ株式会社が「コンドロイチン硫酸ナトリウム」の「平均分子量」として提供していた数値(6千~1万程度)が実際には「粘度平均分子量」であることに気付かずに,あるいは,気付いていたが「重量平均分子量」との違いを重要視せずに,「例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等),マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」と記載したと思われる。結果論ではあるが,少なくとも実施例に記載の試験においては技術的な意味が示されていない臨界値を有する数値範囲によって,特許請求の範囲に記載の成分を限定する必要はなかったように思われるし,たとえこの数値を記載しなかったとしても,実施可能要件・サポート要件違反の問題は生じなかったのではないかとも考えられる。いずれにしても,明細書を作成する際には,特許請求の範囲に記載する数値の必要性及び測定方法・条件を十分に検討し,不明確な規定とならないように注意する必要がある。
なお,本事案では,マルハ株式会社が,本件出願日当時,コンドロイチン硫酸ナトリウムの製造販売を独占する2社のうちの1社であったことも理由として判示された。仮に,これが10社のうちの1社に過ぎなかったならば,結論は違ったかもしれない。
最後に,本件の実施例では,コンドロイチン硫酸ナトリウムについて「平均分子量約1万」又は「平均分子量約2万」と記載されていたが,その製造会社名は記載されていなかった。他方、本件明細書には,「生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等)」と記載されているので,実施例で使用されていた上記コンドロイチン硫酸ナトリウムは,平均分子量の値が一致する生化学工業株式会社製であったと考えるのが自然である。そして、生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの「平均分子量」が「重量平均分子量」であることを十分論理的に説明することができ、かつ明細書の一般記載から「マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」を削除する訂正が可能であれば,特許請求の範囲に記載の「平均分子量」は「重量平均分子量」を意味すると主張する余地もあったのではないかと思われる。
2.数値限定が多義的である場合の,2通りの帰趨
①本判決は,「平均分子量」が、「重量平均分子量」か「粘度平均分子量」か不明であるとして,明確性要件違反と判断した。これは,無効審判の審決取消訴訟である以上,結論としてやむを得ない。
②知財高判平成20年(ネ)10013号(「遠赤外線放射体」事件)は,「平均粒子径」が、体積相当径か、二次元的に定義される径か、その定義(算出方法)が明細書に記載されていないことを理由に,明確性要件違反と判断した。
③知財高判平成23(行ケ)10418号(「防眩フィルム」事件)も,「屈折率の異なる透光性拡散剤を含有する透光性樹脂からなる防眩層」の内部ヘイズ値を測定する方法は,発明の詳細な説明の記載,及び本件特許の出願当時の技術常識によって,明らかであるとはいえない」として,明確性要件違反と判断した。
他方,下掲の特許権侵害訴訟の判決を概観すると,複数の測定方法・測定条件がある場合は,「従来より知られたいずれの方法によって測定しても,特許請求の範囲の記載の数値を充足する場合でない限り,特許権侵害にはならない」として結論として非充足とし,明確性要件違反と判断していない。
④東京地判平成14年(ワ)4251号,東京高判平成15年(ネ)3746号(「マルチトール含蜜結晶」事件)
⑤東京地判平成23年(ワ)6868号(「シリカ質フィラー」事件)
⑥東京地判平成24年(ワ)6547号,知財高判平成27年(ネ)10016号(「ティシュペーパー製品の製造方法」事件)
★これらの裁判例を統一的に理解することは困難であるが,一応整理すると以下のとおりである。
<事件番号> | <多義的であるもの> <結論> |
知財高判平成28年(行ケ)10005 | パラメータの定義⇒明確性要件違反 |
知財高判平成20年(ネ)10013 | パラメータの定義⇒明確性要件違反 |
知財高判平成23(行ケ)10418 | 測定方法・条件 ⇒明確性要件違反 |
東京高判平成15年(ネ)3746 | 測定方法・条件 ⇒非充足 |
東京地判平成23年(ワ)6868 | 測定方法・条件 ⇒非充足 |
知財高判平成27年(ネ)10016 | 測定方法・条件 ⇒非充足 |
何れにしても,一旦パラメータの意味又は測定方法・条件が多義的であると判断された事例は,全ての事件において特許権者が敗訴している。したがって、出願人としては,パラメータの意味又は測定方法・条件を明記することが肝要である。
(★知財高判平成27年(ネ)10016事件では,測定条件についてJIS規格が存在したにも拘らず,JIS規格で定められていない他の測定条件が明細書において一義的に定まっておらず,いずれの測定条件でもパラメータの要件を充足しなければならないとして,非充足とされた。JIS規格が存在しても,更に詳細に測定条件等を記載する必要がある。)
★測定方法が明細書等または周知技術から理解可能であると判断された裁判例として,知財高判平成17年(行ケ)10661 (「オレフィン共重合体の製造方法」事件)、東京地判平成19年(ワ)3493(「経口投与用吸着剤」事件)が参考になる。
★測定方法として「前記屈折率の値は、JIS K 7142に従って測定される測定値であり、」という測定方法・条件を付加する訂正が、新規事項追加であるとして認められなかった裁判例として、知財高判平成27年(行ケ)10234(「透明不燃性シート」事件)がある。
(5) 明確性要件違反について
本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が,本件出願日当時,「重量平均分子量」,「粘度平均分子量」等のいずれを示すものであるかについては,本件明細書において,これを明らかにする記載は存在しない。もっとも,このような場合であっても,本件明細書におけるコンドロイチン硫酸あるいはその塩及びその他の高分子化合物に関する記載を合理的に解釈し,当業者の技術常識も参酌して,その平均分子量が何であるかを合理的に推認することができるときには,そのように解釈すべきである。しかし,本件においては,次に述べるとおり,「コンドロイチン或いはその塩」の平均分子量が重量平均分子量であるのか,粘度平均分子量であるのかを合理的に推認することはできない。
前記(2)ないし(4)の認定事実によれば,本件明細書(【0021】)には,「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり,平均分子量が0.5万~50万のものを用いる。より好ましくは0.5万~20万,さらに好ましくは平均分子量0.5万~10万,特に好ましくは0.5万~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ,例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等),マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」という記載がされている。また,本件出願日当時,マルハ株式会社が販売していたコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量は,重量平均分子量によれば2万ないし2.5万程度のものであり,他方,粘度平均分子量によれば6千ないし1万程度のものであったことからすれば,本件明細書のマルハ株式会社から販売される上記「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」にいう「平均分子量」が客観的には粘度平均分子量の数値を示すものであると推認される。
そして,マルハ株式会社は,本件出願日当時,コンドロイチン硫酸ナトリウムの製造販売を独占する二社のうちの一社であって,コンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を粘度平均分子量のみで測定し,ユーザー(当業者を含む。以下同じ。)から問い合わせがあった場合には,その数値(6千ないし1万程度のもの)をユーザーに提供していたのであり,マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として,同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムを利用する当業者に公然と知られていた数値は,このような粘度平均分子量の数値であったと認められる。
のみならず,本件出願日当時には,マルハ株式会社から販売されていたコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量が2万ないし2.5万程度のものであることを示す刊行物が既に複数頒布され,当該数値は,本件明細書にいう0.7万等という数値とは明らかに齟齬するものであることが認められる。これらの事情の下においては,本件明細書の「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」という記載に接した当業者は,上記にいう平均分子量が粘度平均分子量を示す可能性が高いと理解するのが自然である。そうすると,当業者は,本件特許請求の範囲の記載について,少なくともコンドロイチン硫酸又はその塩に限っては,重量平均分子量によって示されていることに疑義を持つものと認めるのが相当である。
したがって,当業者は,本件出願日当時,本件明細書に記載されたその他高分子化合物であるヒドロキシエチルセルロース(【0016】),メチルセルロース(【0017】),ポリビニルピロリドン(【0018】)及びポリビニルアルコール(【0020】)については重量平均分子量で記載されているものと理解したとしても,少なくとも,コンドロイチン硫酸ナトリウムに限っては,直ちに重量平均分子量で記載されているものと理解することはできず,これが粘度平均分子量あるいは重量平均分子量のいずれを意味するものか特定することができないものと認められる。
以上によれば,本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が,本件出願日当時,「重量平均分子量」,「粘度平均分子量」のいずれを示すものであるかが明らかでない以上,上記記載は,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であり,特許法36条6項2号に違反すると認めるのが相当である。
(Keywords)平均分子量,重量平均分子量,粘度平均分子量,明確性,ロート,マルハ,生化学工業,コンドロイチン硫酸ナトリウム,数値限定,パラメータ,多義的,測定方法,測定条件
文責:高石 秀樹(弁護士・弁理士)、小松 邦光(弁理士)
監修:吉田 和彦(弁護士・弁理士)
本件に関するお問い合わせ先: h_takaishi@nakapat.gr.jp