1.特許法79条
「特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して、特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する。」
2.判旨抜粋(先使用権と「食い込み」に関する一般論の判示部分。(※原審判決が判示して、控訴審判決が引用した判示部分。))
「特許法は,先願主義(同法39条1項)の例外として,同法79条所定の要件を満たす場合に先使用による法定通常実施権(先使用権)の成立を認める。ここで,先使用権が認められる者は,『特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし,…特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者』とされているところ,『その発明』とは,いずれも『特許出願に係る発明』を指すと解するのが自然な文理解釈である。また,上記のとおり,先使用権が特許発明の通常実施権であることに鑑みると,先使用権に係る発明は,特許発明と同一のもの又は少なくともその一部であるものをいうと解される。したがって,先使用権が成立するためには,先使用に係る発明が特許発明の技術的範囲に属する必要があると解される。…本件再訂正に係る審決の確定により,本件特許については,本件再訂正後における特許請求の範囲により特許出願,特許権の設定登録等がされたものとみなされるから(特許法128条),…本件訂正発明の技術的範囲に属していたとしても、そのことは、…結論を左右しない。また,このように解したとしても,訂正の結果,特許権者は訂正後の特許請求の範囲の記載に基づく特許発明の技術的範囲の限度で権利が認められるにとどまることを考えると,特許権者と先行して特許発明を実施していた者との公平を図るという先使用権の制度趣旨に反するものとはいえない。」
⇒先使用物(IDB-11/14R及びIDB-11/14W)は、本件再訂正前の発明に入っていたが、本件再訂正後の発明に入っていなかったことを理由として、先使用権不成立。
3.図解
本判決は、先使用物(被疑侵害者が本件特許の優先日前に事業の準備等をしていた物)が、訂正前発明の範囲内であっても、(減縮された)訂正後発明の範囲外であると、先使用権は不成立(いわゆる「食い込み」を一切許容しない。)という一般論を判示した[1]これを図解すると、以下のとおりである。
[1] 本判決のように、先使用権について所謂「食い込み」を認めない立場に反対する学説として、吉田広志「先使用権の範囲に関する一考察」パテント56巻6号(2003)61頁、田村善之「特許法の先使用権に関する一考察(2)-制度趣旨に鑑みた要件論の展開-」知的財産法政策学研究54号(2019)、深井俊至・弁護士(特許ニュースNo. 15546、令和3年11月30日号)等がある。
例えば、吉田広志教授は、「先使用の対象となる発明は,特許権の権利範囲外であってもかまわない…ところ、権利範囲外の先使用製品から,権利範囲内への実施態様に変更することも,上記の基準に従う限りにおいて可能と解する。…先使用権制度はまさしく実施のインセン ティヴのための規定に他ならない。その立場からすれば, 先使用者に残されるべきフリーハンドの範囲は,特許権 の権利範囲によって左右されてはならないはずである。」と述べる。
また、田村善之教授は、「先使用発明と特許発明の同一性が否定される場合の多くは、先使用にかかる実施形式は特許発明の技術的範囲の外側に位置している場合が多く、特に先使用に頼らなくても独自発明の継続的実施に支障はないことが通例といえよう。しかし、先使用発明と特許発明が同一ではない場合であっても、以下のように、先使用権に依存しなければならない事態は招来しうる。第一に、独自発明のなかで実施形式を変更すると、特許発明の技術的範囲に抵触するに至る場合もありえる(クレイムの外側からの食い込みの事例)。特に実施形式の変更が出願公開や特許公報発行の前の時点でなされた場合には、同一性要求説の下では、予測不可能な特許権の出現により独自発明の実施を継続しえないことに変わりはない。また、かりに実施形式の変更が出願公開や特許公報発行後であったとしても、技術的な必要性や市場の変化に対応した実施形式の変更をなしえないことになりかねない。…第二に、先使用者の先使用にかかる実施形式が特許発明の請求範囲に属する場合であっても、先使用者の発明と特許発明の技術的思想を異にする場合には先使用権は認められないという考え方が採用されてしまうと、独自発明と特許発明の技術的範囲の関係次第では、独自発明者は逃げ場がなく、一切、実施をなすことができないという事態もありえることになる。このような帰結は、前述した先使用権の制度の趣旨に反するように思われる。」と述べる。
このような考え方は、全く別の論点であるが、延長登録に関する最判平成21年(行ヒ)第326号「パシーフ」が「先行医薬品が延長登録出願に係る特許権のいずれの請求項に係る特許発明の技術的範囲にも属しないときは,先行処分がされていることを根拠として,当該特許権の特許発明の実施に後行処分を受けることが必要であったとは認められないということはできない…。」として延長登録を認めるべき旨を判示したところ、そうであるならば、先行医薬品が訂正前発明の範囲内であっても、(減縮された)訂正後発明の範囲外であると延長登録が認められるということとなるが、それでよいのかが議論されているところを通ずるものがある。
1 要件①「特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし」又は「特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をした者から知得」したこと
(1)「特許出願に係る発明の内容を知らないで」について
ア この文言からすると、特許出願に係る発明と先使用に係る発明とが別個の源から生じていること、すなわち、二重発明の場合に適用が限定される趣旨と解される。この解釈によれば、先使用に係る発明が冒認され特許出願がなされたときも、先使用者には先使用権は成立しえない。もっとも、この点については争いがあり、発明が冒認出願された事案で先使用権を認めた裁判例もある(大阪地判昭和52年3月11日・昭和47年(ワ)3297号判タ353号301頁)。
イ この要件は、特許権者と先使用権を主張する者との間に接点があるときに問題となる。
例えば、東京地判平成19年3月23日(平成16年24626号、判タ1294号183頁)では、原被告の顧客が共通する事案において、原告が,「被告が原告の開発情報を何らかの方法で知得して乙4の2・3図面を作成した」と主張したが、「被告による乙4の2・3図面の作成とその試作機によるテストの結果について,トヨタ自動車から原告による発明のコピーではないとの評価を受けたことは上記認定のとおりであり,上記認定の被告製品の開発経過からしても,被告らが被告製品を独自に開発したことは明らかである。」と判示された。
また、大阪地判平成25年1月31日(平成23年(ワ)7407号)は、具体的事案を検討した上で、先使用発明は被告(特許権者)の指示に基づくものではないと判断された。
(2)「その発明をし」について
先使用権が発生するためには、先使用「発明」が完成していなければならない
ウォーキングビーム事件最判は、「発明とは、自然法則を利用した技術的思想の創作であり(特許法二条一項)、一定の技術的課題(目的)の設定、その課題を解決するための技術的手段の採用及びその技術的手段により所期の目的を達成しうるという効果の確認という段階を経て完成されるものであるが、発明が完成したというためには、その技術的手段が、当該技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていることを要し、またこれをもつて足りるものと解するのが相当である」と判示して、「物の発明については、その物が現実に製造されあるいはその物を製造するための最終的な製作図面が作成されていることまでは必ずしも必要でなく、その物の具体的構成が設計図等によつて示され、当該技術分野における通常の知識を有する者がこれに基づいて最終的な製作図面を作成しその物を製造することが可能な状態になつていれば、発明としては完成している」と判示し
近時の下級審裁判例では、「大阪ガスが開発したトルエン加水分解法は,BPEFの粗結晶を水とトルエンに溶かした後,不純物が溶けた水を取り除くと,BPEFのみが溶けたトルエンが得られ,これを精製して純度の高いBPEFを得るという方法であり,本件特許発明1とは異なるBPEFの製造方法であるところ,大阪ガス及び同社から平成11年4月頃にトルエン加水分解法を含んだBPEFの製造方法について開示を受けた被控訴人は,本件特許の優先権主張日である平成19年2月15日前に,本件特許発明2の技術的範囲に属するBPEFを少なくとも約30トン委託製造しているのであるから,被控訴人製品に係る発明は,その技術的手段が,当該技術分野における通常の知識を有する者が反復継続して目的とする効果を挙げることができる程度にまで具体的,客観的なものとして構成されていたということができる。したがって,被控訴人製品に係る発明は完成していたものと認められる。」と判示して、先使用発明の完成を認めた裁判例が参考になる(知財高判平成24年7月18日(平成24年(ネ)10016号、判時2174号106頁))。
この要件に関連して、知財高裁平成30年4月4日・平成29年(ネ)第10090号「医薬」事件(東和薬品興和)<高部裁判長>も重要である。
(3)「知得」について
「知得」とは、特許出願に係る発明を正当に取得することを意味し、取得の方法が有償譲渡であるか、無償譲渡であるか、あるいは相続、合弁等の一般承継であるかは問わない。冒認等、発明を違法に取得した場合を除外する趣旨である。
我が国の企業における職務発明の多くは、従業員等が完成された発明を、報告書、仕様書、図面等を通じて使用者等が「知得」している。ここで、職務発明をした従業員を具体的に特定することは不要である(東京地判平成24年9月20日(平成23年(ワ)29049号)、神戸地判平成9年11月19日(平成7年(ワ)290号)等)。
なお、「知得」には、発明自体の譲渡のみならず、先使用発明者や知得者から、発明の実施品を仕入れる行為、サンプルの提示を受けたり、あるいは発明を特定する設計図面等による受注などにより、その購入者や受注者が発明の内容を知った場合にも、「知得」が認められる(特許庁編「先使用権制度の円滑な活用に向けて」16頁)。
また、大阪地判平成25年1月31日(平成23年(ワ)7407号)は、原告(被疑侵害者)の100%親会社であるフランスロレアル社が先使用発明者から図面を受領し、先使用発明を「知得」した事案において、「フランスロレアル社の子会社で,ロレアルグループの一員である原告らも,本件口紅の輸入時には,『本件特許出願に係る発明を知らないでその発明をした者』であるP4から,本件容器の突状部に係る発明を『知得』していたと評価するのが相当である(この点,被告らは,原告らとフランス法人のロレアル社はあくまで別法人であるため,その知得を原告らの知得と同視すべきでない旨主張するが,先使用権の成否を判断するに当たり,発明の実施者が親会社であるか,あるいは,同社が支配する子会社であるかによって結論を左右させることは,特許法79条による利害調整の趣旨に沿う解釈とはいえず,採用できない。)。」と判示した。
2 要件②「特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業又はその事業の準備をしていたこと」
(1)「特許出願の際」について
特許出願の日のうち、時刻も問題となる。したがって、先使用発明の完成が特許出願の日であっても、その時刻が出願よりも遅れれば、本条の適用は受けられない。
また、優先権主張を伴う特許出願(国内優先権を伴う出願、パリ優先権を伴う出願、PCT出願、分割出願)に関しては、「特許出願の際」とは、その最先の出願を意味する。(特許庁編『先使用権制度の円滑な活用に向けて』15頁)
例えば、東高判平成4年3月30日(平成3年(ラ)289号)は、分割出願の要件を満たさない出願について、現実の出願日を「特許出願の際」の日とした。
(2)「日本国内において」について
同要件は、日本国内において発明をしたことが要件ではなく、当該発明の実施である事業又はその事業の準備を、日本国内で行ったことが要件である。
日本国内の企業が、先使用発明を実施する製品の具体的な形状、仕様等を定めて、国外の会社に発注し、全量を納入させて輸入した場合は、日本国内の下請製造と同様に、日本国内の企業がその発明の実施である事業又はその事業の準備をしていたと評価して、先使用権が成立し得る(特許庁編『先使用権制度の円滑な活用に向けて』27頁)。
逆に、意匠権の事案であるが、国外の会社が日本国内の会社に注文して、当該国外の会社のみのために当該意匠に係る物品を製造させた場合に、当該国外の会社に先使用権を認めた判例もある(最判昭和44年10月17日(昭和41年(オ)1360号、民集23巻10号1777頁)「地球儀型トランジスターラジオ意匠」事件)。
(3)「実施の事業又はその事業の準備」について
「実施」の意義は、特許法2条3項に規定されている。実施である事業をしているとは、業として実施をしていることを意味する。実施に至っていれば、客観的に明らかであるため、立証も比較的容易な場合が多い。
これに対し、事業の準備については、「準備」がどの程度の事業準備行為を意味するかについては明確な基準は設定し難い。最高裁は、「事業の準備」につき、「同法79条にいう発明の実施である『事業の準備』とは、特許出願に係る発明の内容を知らないでこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者が、その発明につき、いまだ事業の実施の段階には至らないものの、即時実施の意図を有しており、かつ、その即時実施の意図が客観的に認識される態様、程度において表明されていることを意味すると解するのが相当である。」と判示した(上掲「ウォーキングビーム事件」最判)。
解釈上最も問題となるのは、「事業の準備」である。
この点は、上掲「ウォーキングビーム事件」最高裁判例を受けて、「即時実施の意図」の有無について判断した多くの下級審裁判例が存在する。この認定は、解釈上の問題であると同時に立証上の問題であり、下級審裁判例の蓄積により予測可能性が高まる。
この論点については、裁判例紹介を割愛する。
3 要件③「実施の範囲がその実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内であること」
(1)「発明…の範囲内」について
先使用による実施権の範囲をどの程度認めるべきかについては争いがある。この問題は、言いかえれば、先使用権者にどの範囲で実施形式の変更を認めるかという問題である。
特許法79条は、「その実施又は準備をしている発明・・・の範囲内において、特許出願に係る特許権について通常実施権を有する」旨規定しているが、特許出願に係る発明との関係でその範囲が明らかでなく、解釈上争いがあった。
東京地判昭和49年4月8日(昭和47年(ワ)1192号、無体集6巻1号83頁)は、特許出願時に実施していた実施形式に限定され、その後の変更を許さないとする説に立ったが、控訴審である東高判昭和50年5月27日(昭和49年(ネ)1043号、無体集7巻1号128頁)は、出願時に実施していた実施形式に限定されず、実施していた考案の範囲にまで及ぶとし、反対の立場を採った。
この点については、最判昭和61年10月3日(「ウォーキングビーム」事件)も同様の立場を採っており、次のとおり判示している。
「特許法79条所定のいわゆる先使用権者は、『その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において』特許権につき通常実施権を有するものとされるが、ここにいう『実施又は準備をしている発明の範囲』とは、特許発明の特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に日本国内において実施又は準備をしていた実施形式に限定されるものではなく、その実施形式に具現されている技術的思想すなわち発明の範囲をいうものであり、したがって、先使用権の効力は、特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式だけでなく、これに具現された発明と同一性を失わない範囲内において変更した実施形式にも及ぶものと解するのが相当である。けだし、先使用権制度の趣旨が、主として特許権者と先使用権者との公平を図ることにあることに照らせば、特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式以外に変更することを一切認めないのは、先使用権者にとって酷であって、相当ではなく、先使用権者が自己のものとして支配していた発明の範囲において先使用権を認めることが、同条の文理にもそうからである。そして、その実施形式に具現された発明が特許発明の一部にしか相当しないときは、先使用権の効力は当該特許発明の当該一部にしか及ばないのはもちろんであるが、右発明の範囲が特許発明の範囲と一致するときは、先使用権の効力は当該特許発明の全範囲に及ぶものというべきである。」
(2)「事業の目的の範囲内」について
特許出願の際行っていた事業目的又は準備していた事業目的の範囲内でのみ先使用権が成立する。例えば、物の発明にあって、特許出願の際には、単に物の使用という事業目的であったものについては、物の製造・販売という事業目的にまで先使用権は及ばない。
ただし、物の製造・販売を事業目的としていた場合には、現実には他の実施行為も行っていることも多いであろうし、また仮に他の実施行為を現実に行っていなくとも、潜在的には他の実施行為をなし得ると客観的に認められる事情が多いと思われるので、物の製造・販売をしていればすべての実施行為につき先使用権は及ぶと解すべきであろう。
また、事業目的の範囲内であれば実施規模は問わないと解すべきである。(上掲「地球儀型トランジスターラジオ意匠」事件)。
(3)「発明…の範囲内」に関する下級審裁判例
先使用権の対象となる発明の技術的範囲は、特許出願に係る発明の技術的範囲と同一であるか、それより狭いことを前提とする。先使用権の対象となる発明の技術的範囲と特許出願に係る発明の技術的範囲が同一の場合は問題ないが、前者が後者よりも狭い場合は、実施形式の変更が認められない場合もあり得る。
例えば、特許出願に係る発明がA、B、Cの構成要件を有するのに対し、先使用権の対象となる発明がA、B、C、Dの構成要件を有する場合には、先使用権者は、A、B、Cのみの構成要件を具備する製品又はA、B、C、Eの構成要件を具備する製品を製造販売することは、先使用権の範囲外である。このような製品は、特許出願に係る発明の技術的範囲に属するが、先使用権の対象となる発明の技術的範囲に属しないからである。このような場合を指して、最判昭和61年10月3日(「ウォーキングビーム」事件)は、「その実施形式に具現された発明が特許発明の一部にしか相当しないときは、先使用権の効力は当該特許発明の当該一部にしか及ばない」と判示しているものと理解される。
もっとも、前述の例でいう先使用権の対象となる発明の構成要件がA、B、Cであるか、あるいは、A、B、C、Dであるかの認定には困難が伴う。なぜなら、先使用権の対象となる発明の技術的範囲の認定は、特許請求の範囲の記載に基づくものではなく、あくまで具体的な製品または製作図面等から認定されるからである。
先使用権の対象となる発明の技術的範囲を特許出願に係る発明の技術的範囲より安易に狭く解すると、実際上実施形式の変更を認めないことになってしまうので、このような認定をする場合には慎重を要する。少なくとも、技術的思想の相違による作用効果の相違が明確でなければならない。
なお、先使用発明が特許発明の技術的範囲に含まれない場合でも先使用権が認められ得るとする学説もあるが、裁判例は否定的である(大阪地判昭和43年(ワ)4811号、東高判昭和51年(ネ)2956号)。
この論点については、裁判例紹介を割愛する。
4 その他の論点
(1)第三者を利用した「事業又は事業の準備」
実施の事業又はその事業の準備については、自らその事業又は事業の準備を行う場合だけでなく、いわゆる下請業者等の第三者を利用して事業又は事業の準備を行う場合も含む。
旧意匠法に関する事例ではあるが、最高裁は、
「旧意匠法九条にいう『其ノ意匠実施ノ事業ヲ為シ』とは、当該意匠についての実施権を主張する者が、自己のため、自己の計算において、その意匠実施の事業をすることを意味するものであることは、所論のとおりである。しかしながら、それは、単に、その者が、自己の有する事業設備を使用し、自ら直接に、右意匠にかかる物品の製造、販売等の事業をする場合だけを指すものではなく、さらに、その者が、事業設備を有する他人に注文して、自己のためにのみ、右意匠にかかる物品を製造させ、その引渡を受けて、これを他に販売する場合等をも含む」とし、第三者が当該登録意匠につき旧意匠法9条による実施権を有する者からの注文に基づき、もっぱらその者のためにのみ右意匠にかかる物品の製造販売等をしているにすぎないときは、その第三者のする右物品の製造販売等の行為は右実施権を有する者の権利行使の範囲内に属する、としている(上掲「地球儀型トランジスターラジオ意匠」事件)。
この解釈は、特許法79条の解釈についてもあてはまる。
大阪地判昭和41年6月29日(昭和40年(ワ)3590号、同4058号)は、実用新案登録出願前に下請会社に部品を製作させ、これを自ら組み合わせて製造販売をしていた場合には、実施の「事業」を行っているものと認定した。
上記最高裁判例によれば、いわゆる下請けの場合は、「自己のためにのみ」製造させた場合でなければならない。発注者が製造者に対して「自己のためにのみ」製造させたと認定できるか否かは、両者間の契約内容、資本関係、設備投資に対する負担、製造者が全量を発注者に納入しているか等を総合的に考慮して判断される。
(2)先使用権を援用しうる者
(2-1)先使用権者の下請けは、先使用権を有しないが、元請けが自己実施と言える場合、すなわち、元請けが下請けに対し「自己のためにのみ」製造させたと認定できる場合(上掲)には、元請けの先使用権を援用できる。
また、先使用権者が製造販売した製品を購入した者は、この製品の使用等につき先使用権を援用できると解すべきである(千葉地判平成4年12月14日(昭和63年(ワ)1598号、知的裁集24巻3号894頁)、東高判平成7年2月22日(平成4年(ネ)4898号、知的裁集27巻l号23頁))
近時では、名古屋地判平成17年4月28日(平成16年(ワ)1307号、判時1917号142頁)も、「…ある発明について先使用権を有している製造業者が、先使用権の範囲内の製品を製造して販売業者に販売し、当該販売業者が同製品を販売(転売)するような場合においては、当該販売業者について先使用権の発生要件の具備を問うまでもなく、当該販売業者は製造業者の有する先使用権を援用することができると解するのが相当である。なぜなら、そのように考えないと、販売業者が製造業者から同製品を購入することが事実上困難となり、ひいては先使用権者たる製造業者の利益保護も不十分となって、公平の見地から先使用権を認めた趣旨が没却されるからである。」として、一般論として、販売業者が製造業者の先使用権を援用し得るとした。(※消尽していると理解することも可能であろう。)
もっとも、同名古屋地判は、続いて「もっとも、先使用権者たる製造業者の利益保護のためには、販売業者による同製品の販売行為が特許権の侵害にならないという効果を与えれば足りるのであって、製造業者が先使用権を有しているという一事をもって、販売業者にも製造業者と同一の先使用権を認めるのは、販売業者に過大な権利を与えるものとして、これまた、先使用権制度の趣旨に反する」として、当該事案においては、販売業者による援用を認めなかった。当該事案は、販売業者が、製造業者の製造した製品を販売するのみならず、「自らかかる製品の製造ないし製造の発注を行う」行為まで行っていた事案であったため、「援用」の問題に留まらず、先使用権の範囲という問題と絡んでいたと考えられる。
(2-2)子会社が、親会社の先使用権を援用できた事例もある。
前掲・大阪地判平成25年1月31日(平成23年(ワ)7407号)は、原告(被疑侵害者)の100%親会社であるフランスロレアル社が先使用発明者から図面を受領し、先使用発明を「知得」した事案において、「フランスロレアル社の子会社で,ロレアルグループの一員である原告らも,本件口紅の輸入時には,『本件特許出願に係る発明を知らないでその発明をした者』であるP4から,本件容器の突状部に係る発明を『知得』していたと評価するのが相当である(この点,被告らは,原告らとフランス法人のロレアル社はあくまで別法人であるため,その知得を原告らの知得と同視すべきでない旨主張するが,先使用権の成否を判断するに当たり,発明の実施者が親会社であるか,あるいは,同社が支配する子会社であるかによって結論を左右させることは,特許法79条による利害調整の趣旨に沿う解釈とはいえず,採用できない。)。」と判示した。
(3)先使用権の放棄・消滅
先使用権は、抗弁権としての法律上の地位であるから、放棄により消滅する。
放棄は明示又は黙示の意思表示によりなされるものであるが、黙示の意思表示による放棄が認められるのは、特許法79条の趣旨に照らし、特段の事情(例えば、実施の事業を廃止した場合)が認められる場合に限るべきである(昭和34年8月10日岐阜地判・昭和32年(モ)102号、下級民集10巻8号1653頁参照)。
東高判平成13年3月22日(平成12年(ネ)2720号)は、「いったん事業の準備をしても、その後に事業を断念し、さらにその後に、新たに同一の事業をすることはあり得るのであり、その場合には、特許法79条にいう『その…準備をしている…事業』との要件を欠くことになるため、先使用権を認めることはできない。」と判示した。もっとも、同判決は、続いて「しかし、本件においては、三井造船の当初の見積額が判明した後に、三井造船が当初の基本設計や見積りを修正することにより、一年足らずの間に約200億円の建設予算が承認されて詳細設計が着手され、本件プラントが建設されるに至っており、本件全証拠によっても、その一年足らずの間に、本件プラントの建設計画がいったん白紙に戻されたとか、他の方式による基本設計が他社に依頼されたとか、という事実があったことを認めることはできない。そうである以上、仮に、被控訴人においてFSをやり直したことがあったとしても、そのことは、先使用権を認めることの妨げとなるものではない。」として、先使用権の成立を認めた。
名古屋地判平成3年7月31日(昭和62年(ワ)3781号、判時1423号116頁)は、「会社が破産したからといって、当然に従前実施していた事業がなくなるものではないし、また、破産会社が破産宣告により先使用権の対象となる発明を実施する事業を中止したからといって、当然に先使用権を放棄したものということはできないので、破産管財人において破産会社が従前に実施していた事業とともに先使用による通常実施権を譲渡することは可能であり、右譲渡がされた場合にも、法九四条一項の要件を具備する」と判示した。
知財高判平成25年8月28日(平成25年(ネ)第10018号)「口紅ケース内管の回転制御構造」事件は、「被控訴人らは,…本件特許が出願された際,本件特許訂正発明1及び同2の技術的範囲に属する本件容器を備えた本件口紅を輸入し,もって『現に日本国内においてその発明の実施である事業』をしていたと認められる。そして,被控訴人らの輸入行為は,販売等に係る事業を目的とするものであること,被控訴人らは,その後本件容器を備えた本件口紅の輸入は行っていないが,控訴人Xが特許権侵害の事実を発見したとする平成23年1月においても,店頭で入手が可能な状態に置かれているとおり,本件容器を備えた本件口紅の販売が継続されていること,被控訴人らは,別のブランドでも突片部を有する容器の使用を行っていること…が認められる。これらの事情を総合すると,当該先使用による通常実施権が消滅したとの控訴人らの主張を採用することはできない。」と判示して、先使用権の消滅を否定した。
(4)先使用による通常実施権の移転(移転に伴う法律関係)
特許法94条1項は、原則として、通常実施権(先使用による通常実施権を含む。)は、実施の事業とともにする場合、特許権者(専用実施権についての通常実施権にあっては、特許権者及び専用実施権者)の承諾を得た場合及び相続その他の一般承継の場合に限り、移転することができる旨規定している。したがって、先使用による通常実施権は、この3通りの場合に限り移転できる。
先使用による通常実施権のみならず、将来において先使用による実施権者たり得るべき地位の譲渡も可能である。つまり、特許権の成立以前における先使用による実施権者たり得るべき地位も特許法94条l項の準用により移転できるものと解すべきである。特許権の成立後に先使用権の移転を受けた者は先使用権を取得するのに、それ以前に先使用権の移転を受けた者は何の権利も取得しないというのでは、著しく均衡を失するからである。
意匠法に関する事例であるが、札幌高判昭和42年12月26日(昭和41年(ネ)173号、民集18巻11・12号1187頁)は、
「元来先使用による実施権は、意匠登録があったときに当該意匠の実施である事業をしている者またはその事業の準備をしている者に与えられる権利であって、意匠登録があるまでは、右事業をなしまたは準備をしている者は単に将来実施権者たり得るべき地位を有するに過ぎないものではあるけれども、このような地位も法律上保護の対象となるものであり、その意匠実施の事業とともにするときは意匠法第34条第1項の趣旨に則りこれを他に譲渡し得るものと解するを相当とする。」
と判示している。
(5)訴訟手続における先使用による通常実施権の主張
(5-1)確認の訴えが許される場合
確認の訴えとは、特定の権利又は法律問題の存在又は不存在を確認する判決を求める訴えである。確認の訴えには、原告が確認の訴えの利益を有することを必要とする。確認の訴えの利益とは、原告の権利又は法律的地位に危険、不安が存し、その危険、不安を除去する方法としてその請求について判決することが原被告間で有効適切である場合に認められる。
特許権の侵害につき争いがある場合又は先使用による通常実施権の存在につき争いがある場合は確認の訴えの利益があると解される。したがって、特許権の侵害又は先使用による通常実施権の成立につき特許権者又は専用実施権者との間に争いがあれば、先使用権者は確認の訴えを提起することができる。
前述したとおり、先使用による通常実施権は、特許権の行使に対する抗弁権であり、通常は特許権の行使に対し、抗弁として主張されるものであるが、警告状を受領した者から確認の訴えをすることは何ら差し支えない。
確認の訴えとしては、先使用による通常実施権の存在の確認の訴えを求めることもできるし、特許権に基づく差止請求権又は損害賠償請求権の不存在の確認の訴えを求めることもできる(先使用による通常実施権に基づく差止請求権不存在の訴を認めたものとして、東京地判昭和39年4月21日・昭和38年(ワ)2770号等、判タ161号146頁)。
(5-2)訴訟行為の内容となるべき態様
ア 先使用による通常実施権は、特許権の行使に対する抗弁として主張することもできるし[i]、積極的にその確認の訴えをすることもできる。抗弁として主張する場合でも、非侵害の主張とともになされることが多く、通常は仮定抗弁として主張される。
抗弁として主張する場合は、実務上は、特許権者たる原告の方が、訴訟対象物件いわゆるイ号物件を目録により特定した上で訴えを提起するものであるから、このイ号物件について先使用による通常実施権を主張することになる。
これに対し、先使用権存在の確認の訴えの場合は、先使用権者がイ号物件を特定して先使用による通常実施権の存在の確認を求めることになる(もちろん、先使用による通常実施権に基づく差止請求権又は、損害賠償請求権の不存在の確認を求める場合もイ号物件の特定が必要となる。)。理論上は、イ号物件を特定せず、先使用による通常実施権の存在の確認を求めることも可能であるが、このためには、特許出願にかかる発明と先使用権の対象となる発明の技術的範囲が同一であることを必要とするところ、先使用権の対象となる発明の技術的範囲を確定するには、具体的な製品又は製作図面等から認定されなければならず、その立証は極めて困難である。
通常は、特定の物件と関係して、先使用による通常実施権の成立が問題となるのであるから、先使用権者としても、イ号物件を特定して確認の訴えをすることで十分にその目的を達し得るし、その方が立証も容易である。したがって、実務上は、先使用権存在確認の訴えにおいても、イ号物件を目録により特定すべきである。
イ 先使用権を理由の一つとして差止請求権・損害賠償請求権不存在の確認の訴えを提起する典型的な例は、特許権者が先使用権者に対し特許権を行使して、特許の侵害を主張する場合である。通常は、特許権の行使は警告状を送ることによって始まるので、先使用権者はこのような警告状を受けると、先使用権の存在(通常は他の非侵害の理由とともに)を特許権者に通知する。特許権者は、先使用権の存在については知るすべもないので、先使用権者に資料の提供等を要求して、裁判上先使用権の存在が立証可能であるか否かの点につき検討する。
もっとも、先使用権者としては特許権侵害についての警告状を受けた段階では、先使用権の存在を証する資料を容易に収集できない場合が多く、先使用権の存在を立証できるか否かについて十分な検討を行うことができない場合がある。この場合、先使用権者は、特許権者の警告状に対し、先使用権の存在については触れずに、他の非侵害の理由を述べるにとどまることになる。特許権者が特許権を行使して、特許の侵害を主張する以上、訴えの提起以前に先使用権の存在が特許権者と先使用権者との間で争いになっていなくとも、先使用権者には先使用権の存在の確認の訴えの利益があると解すべきである。なぜなら、特許権の侵害につき争いがあれば、それは当然に特許権の行使に対する抗弁権である先使用権の存在についても争いがあるとみるべきだからである。
ウ 特許権者が先使用権者に対し特許侵害訴訟を提起した場合に、先使用権者は先使用権の存在の確認の訴えを反訴として提起し得るであろうか。
特許権者による特許権の行使は、被告の製造・販売している又は実施している特定の物又は方法が特許権を侵害するということであり、かかる特定の物又は方法に関する差止請求権又は損害賠償請求権を訴訟物としている。したがって、特許侵害訴訟が棄却されても、かかる特定の物又は方法についての差止請求権又は損害賠償請求権の不存在が確認されるにすぎない。
しかしながら、先使用権の存在が確認されれば、先使用にかかる発明の範囲で当該特許権につき通常実施権が認められるものであり、特許侵害訴訟の対象となっている特定の物又は方法に限定されないから(先使用権が認められる範囲については前述[2]を参照されたい。)、特許権者の先使用権者に対する特許侵害訴訟において、先使用権者が先使用権の存在の確認の訴えを反訴として提起することは、訴えの利益があり、許されると解すべきである。
他方、先使用権者が反訴として先使用権に基づく差止請求権又は損害賠償請求権の不存在の確認の訴えを提起することは、単に本訴の棄却を求めているに等しいので、訴えの利益がないと言わざるを得ないから、許されないと解すべきである。
[i] 注解特許法〔第2版〕<中巻>1474頁(森崎=岡田)
執筆:高石秀樹(弁護士・弁理士)(特許ニュースの原稿ではありません。)
監修:吉田和彦(弁護士・弁理士)
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