-令和3年(行ケ)第10093号「PCSK9に対する抗原結合タンパク質」事件(アムジエンv. リジェネロン)<菅野裁判長>-
(前訴確定判決は、平成29年(行ケ)第10225号等。無効審判請求人はサノフィであった。)
◆判決本文
【特許請求の範囲、判決の概要及び考察、関連裁判例の紹介等】
1.特許請求の範囲(特許第5705288号)
【請求項1】
「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,PCSK9との結合に関して,配列番号368,175及び180のアミノ酸配列からそれぞれなるCDR1,2及び3を含む重鎖と,配列番号158,162及び395からそれぞれなるCDR1,2及び3を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,単離されたモノクローナル抗体。」
「【請求項9】 請求項1に記載の単離されたモノクローナル抗体を含む、医薬組成物。」
⇒要するに、本件発明は、①参照抗体と競合する、②PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和できる、抗体である。
2.本判決(令和3年(行ケ)第10093号=令和3年(行ケ)第10094号)の概要
「本件発明の『PCSK9との結合に関して、参照抗体と競合する』との性質を有する抗体には、上記本件明細書の発明の詳細な説明に具体的に記載される数グループの抗体以外に非常に多種、多様な抗体が包含されることは自明であり、また、…このような抗体には、被告が主張するように、21B12抗体がPCSK9と結合するPCSK9上の部位と重複する部位に結合し、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)抗体にとどまらず、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害する態様でPCSK9に結合し、様々な程度で参照抗体のPCSK9への特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)抗体をも包含するものである。そうすると、その中には、例えば、21B12抗体がPCSK9と結合する部位と異なり、かつ、結晶構造上、抗体がLDLRのEGFaドメインの位置とも異なる部位に結合し、21B12抗体に軽微な立体的障害をもたらして、21B12抗体のPCSK9への特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)もの等も含まれ得るところ、このような抗体がPCSK9に結合する部位は、結晶構造上、抗体がLDLRのEGFaドメインの位置と重複する位置ではないのであるから、LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節するものとはいえない。…
本件発明のPCSK9との競合に関して、参照抗体と競合するとの発明特定事項は、被告が主張するような、参照抗体が結合する位置と同一又は重複する位置に結合する抗体にとどまるものではなく、PCSK9とLDLRタンパク質の結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体をも含むものであるから、このような抗体についても結合中和抗体であることがサポートされる必要があるところ、参照抗体が結合する位置と同一又は重複する位置に結合する抗体の場合とは異なり、PCSK9とLDLRタンパク質との結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体が結合を中和するメカニズムについては本件明細書には何らの記載はなく、…少なくともこれらが立体的に妨害する抗体であることを示唆する記載はない。そうすると、本件明細書の発明の詳細な説明には、参照抗体と競合する抗体のうちPCSK9とLDLRタンパク質との結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体が結合中和活性を有することについて何らの開示がないというほかなく、この点からも、本件発明はサポート要件を満たさない。…
被告は、…21B12抗体(参照抗体)と競合するが、PCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和できない抗体が仮に存在したとしても、そのような抗体は、本件発明1の技術的範囲から文言上除外されているなどとして、本件発明がサポート要件に反する理由とはならない旨主張する。しかし、…21B12抗体と競合する抗体であれば、21B12抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合中和抗体としての機能的特性を有することを特定した点に本件発明の技術的意義があるというべきであって、21B12抗体と競合する抗体に結合中和性がないものが含まれるとすると、その技術的意義の前提が崩れることは明らかである(本件のような事例において、結合中和性のないものを文言上除けば足りると解すれば、抗体がPCSK9と結合する位置について、例えば、PCSK9の大部分などといった極めて広範な指定を行うことも許されることになり、特許請求の範囲を正当な根拠なく広範なものとすることを認めることになるから、相当でない。)。…
本件発明に係る別件審決取消訴訟においては…サノフィによるサポート要件違反に関する主張は退けられている。しかし、これは、当時の主張や立証の状況に鑑み、21B12抗体と競合する抗体は、21B12抗体とほぼ同一のPCSK9上の位置に結合し21B12抗体と同様の機能を有するものであることを当然の前提としたことによるものと理解することも可能である。これに対し、本訴においては、【A】博士や【B】博士の各供述書、【F】教授の鑑定書等…による構造解析、『EGFaミミック抗体』に係る関係書証…等の新証拠に基づく新主張により、上記前提に疑義が生じたにもかかわらず、この前提を支える判断材料が見当たらないのであるから、別件判決の結論と本件判断が異なることには相応の理由があるというべきである。」
3.若干の考察
(1)効果のクレームアップでサポート要件を充たすという前訴確定判決では認められた論理については、「結合中和性のないものを文言上除けば足りると解すれば、抗体がPCSK9と結合する位置について、例えば、PCSK9の大部分などといった極めて広範な指定を行うことも許されることになり、特許請求の範囲を正当な根拠なく広範なものとすることを認めることになるから、相当でない。」と判示して認めなかった。もっとも、発明を効果で特定し、効果を奏しない物は発明に含まれないという前訴確定判決では認められた論理を全面的に否定したものではなく、本件発明の技術的意義を「21B12抗体と競合する抗体であれば、21B12抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合中和抗体としての機能的特性を有することを特定した点」であると判断し、それ故に、「結合中和性のないものを文言上除けば」結合中和性のないものが含まれるというサポート要件違反を免れることはないという判断枠組を採ったことが前訴確定判決との決定的な違いである。
このことは、無効審判請求人が前訴の各裁判において未検討であったメカニズムから主張した方針が功を奏したものであるが、他方、クレーム文言解釈、そして、発明の技術的意義が前訴確定判決と変わっていると理解できるから、記載要件(サポート要件、実施可能要件、明確性要件)違反の確定判決があっても、別の観点から主張・立証を尽くすことにより、既判力や拘束力に反することなく、前訴確定判決とは異なる判決を得ることができる余地があることを改めて示した判決でもある。
なお、本判決は、「参照抗体が結合する位置と同一又は重複する位置に結合する抗体の場合とは異なり、PCSK9とLDLRタンパク質との結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体が結合を中和するメカニズムについては本件明細書には何らの記載はなく、…少なくともこれらが立体的に妨害する抗体であることを示唆する記載はない。そうすると、本件明細書の発明の詳細な説明には、参照抗体と競合する抗体のうちPCSK9とLDLRタンパク質との結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体が結合中和活性を有することについて何らの開示がないというほかなく、この点からも、本件発明はサポート要件を満たさない。」と判示しており、この判示部分だけを見ると、「参照抗体と競合する抗体のうちPCSK9とLDLRタンパク質との結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体」を除外し、「参照抗体が結合する位置と同一又は重複する位置に結合する抗体」に限定すればサポート要件違反が解消するという示唆であるとも読めるが、「この点からも、」の観点からサポート要件違反が解消するとしても、「参照抗体が結合する位置と同一又は重複する位置に結合する抗体」であれば「21B12抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合中和抗体としての機能的特性を有する」と言えるのかというサポート要件違反が解消されるのかが更に問題となる。もっとも、この点に至れば、メカニズムによる説明も可能と思われ、この紛争は未だ終わらない。
(2)これまでに、同一の特許権が、前訴確定判決ではサポート要件が認められたにも拘らず、後訴(二次訴訟)においてサポート要件違反と判断された事例としては、本判決の他に「減塩醤油類」事件が知られているため、以下に紹介する。
平成23年(行ケ)第10254号<滝澤裁判長><一次判決>は、一つのパラメータの下限付近のとき他方は上限付近であると当業者が理解するとして、サポート要件を肯定した。
(判旨抜粋)「本件明細書に接した当業者は,本件発明1において,食塩濃度が7w/w%台の減塩醤油であって,カリウム濃度が本件発明で特定される範囲で下限値に近い場合には,塩味が十分に感じられない可能性があると理解すると同時に,このような場合には,カリウム濃度を本件発明1で特定される範囲の上限値近くにすることにより,減塩醤油の塩味を強く感じさせることができると理解するものと解される。」
平成26年(行ケ)第10155号<清水裁判長><二次判決>は、発明の課題を限定的に認定して、当該課題を解決できるように記載されていないとして、当業者がカリウム添加による塩味補完メカニズムを理解していたと認定したにもかかわらず、サポート要件違反とした。
(判旨抜粋)「…本件発明の課題が解決されたというためには,本件明細書において設定した,塩味が3以上,苦みが3以下,総合評価が○以上という評価を達成しなければならない…。…本件明細書には,調味料や酸味料を含まずに食塩濃度を9w/w%から減少させたときの塩味の評価については何ら示されていないし,食塩濃度が7w/w%の場合において,どの程度のカリウムを加えれば塩味の指標が3以上となり,かつ,苦みも3以下となるかということについて,予測する手がかりとなる記載も,また,それに関する技術常識もないから,上限値のカリウム濃度は,2w/w%分の塩分濃度の減少を補うに足りるか,その場合の苦みはどうなるか不明というほかない。」
(3)その他の点としては、前訴確定判決(東京地判平成29年(ワ)16468<柴田裁判長>=平成29年(行ケ)10225<大鷹裁判長>、平成31年(ネ)10014<高部裁判長>)と異なり、本判決の裁判長は知財高裁第4部の菅野裁判長であったことが挙げられる。
サノフィが当事者であった前訴確定判決と異なる観点について3人の専門家意見書が重視されており、日本でも専門家意見書が効果的である場合があることが再確認された(日本の最高裁が受理した多くの知財事件の上告受理申立て事件においても、法律専門家の意見書が提出されている。)。
米国対応特許がCAFCにおいて記述要件違反で無効と判断されたことを明示的な理由としなかったが、これに言及したことは一定の意味があると考えられる。
4.前訴確定判決(東京地判平成29年(ワ)16468<柴田裁判長>=平成29年(行ケ)10225<大鷹裁判長>、平成31年(ネ)10014<高部裁判長>)の概要
前訴確定判決は、本件明細書中の記載を精査した上で、「前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載 のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各明細書で開示された抗体以外にも,本件参照抗体と競合し,PCSK9とLDLRとの結合を中和する様々なPCSK9-LDLR結合中和抗体を得ることができると認識することができる。」と判示した。
ここで、「前記2」とは機能的クレームの充足論に関する検討部分であるから、本判示は、機能的クレームの発明の技術的範囲が実施例に具体的に記載された構成以外に及ぶか否かという争点と、実施例に具体的に記載された構成以外がサポートされているか否かという争点とが、表裏一体の議論であり、検討事項が同じであることを意味している。本稿では省略するが、前訴確定判決によれば、実施可能要件との関係も表裏一体の議論である。
逆に、機能的クレームの発明の技術的範囲が実施例に具体的に記載された構成以外には及ばない場合(明細書に開示された発明に関する記述の内容から、当業者が実施例以外は実施し得えない場合)は、機能的クレームの発明の技術的範囲は実施例に限定され、その範囲でサポートされており、実施可能であるという意味で、やはり表裏一体である。
ところで、本件発明は、①参照抗体と競合する、②結合を中和できる抗体であるという機能・効果で特定された発明であるため、当該特性を有するあらゆる抗体を包含しており、優先日時点で発見されていない抗体まで含む、いわゆる「リーチスルークレーム」である。機能的クレームの充足論は、イ号抗体が明細書に開示された発明に関する記述の内容から当業者が実施し得る構成であれば発明の技術的範囲に含まれるというピンポイントの検討が可能であるが、他方、(機能的クレームに限らず)サポート要件は、発明の全範囲に亘って優先日当時の当業者が課題を解決できると認識できる必要があるため、単純に表裏一体の議論ではないという考え方も有り得るところである。他方、リーチスルークレームであることを理由に、異なる基準でサポート要件を判断するという学説・裁判例は見当たらず、優先日時点で発見されていない物も含めてサポートされているかという問題であろう。
この点について、同特許の維持審決に対する審決取消訴訟(平成29年(行ケ)第10225号<大鷹裁判長>)は、「…抗体の構造を特定することなく,機能ないし特性…のみによって定義された発明であるため,文言上ありとあらゆる構造の膨大な数ないし種類の抗体を含むものであるが,本件明細書に記載された具体的な抗体は…3種類の抗体しかなく,また,参照抗体と『競合する』抗体であれば,PCSK9とLDLRとが結合中和するとはいえ…ないから,本件明細書に記載されていないありとあらゆる構造の抗体についてまでも,本件明細書の記載から…課題を解決できると認識し得るものではない」という主張に対し、「動物免疫法によるモノクローナル抗体の作製プロセスでは,動物の体内で特定の抗原に特異的に反応する抗体が産生され,その免疫化動物を使用して作製したハイブリドーマをスクリーニングし,特定の結合特性を有する抗体を同定する過程において,アミノ酸配列が特定されていくことは技術常識であるから,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとは認められない。…また,参照抗体と『競合する』抗体であれば…結合を中和するものといえないとしても,本件訂正発明1は『…結合を中和することができ』る抗体であることを発明特定事項とするものであるから,…上記認定を左右するものではない。」と判示した。
同知財高裁判決は、明細書の開示及び技術常識によれば、特許発明に含まれる「構造の膨大な数ないし種類の抗体」は、すべてサポートされていると判断したものである。(なお、同知財高裁判決は、実施可能要件についても同様に判断している。)
ところで、「参照抗体と『競合する』抗体であれば,PCSK9とLDLRとが結合中和するとはいえ…ない」という無効審判請求人の主張は、如何に位置付けられるのであろうか。この点については、クレームアップされた効果の位置付けが問題となるところ、同知財高裁判決のように、「結合中和する」という効果がクレームアップされている以上、同効果を奏しない構成(本件発明でいえば、「結合中和」しない抗体)は特許発明から除外されている以上、サポート要件の検討対象外という、前訴確定判決と同様の考え方が多数であった[i]。他方、後掲するとおり、①平成28年(行ケ)第10189号<鶴岡裁判長>「光学ガラス」事件は、課題がクレームアップされている場合は、クレームされた組成が同課題を高い蓋然性で満たすと認識できる必要があるとしており、②平成24年(行ケ)第10151号<芝田裁判長>「高強度高延性容器用鋼板」事件も同旨であった。課題・効果をクレームアップする発明においては、これら①及び②の裁判例(後掲)も念頭において実務に携わる必要がある。
5.<関連裁判例の紹介>
5-1.課題・効果をクレームアップした発明のサポート要件(権利者に厳しい一般論を判示した2件の裁判例)(本判決は、「本件発明の技術的意義」の認定と関連してであるが、効果のクレームアップによっても結論としてサポート要件が認められなかったという意味では、3件目の裁判例と位置付けられる。
①平成28年(行ケ)第10189号「光学ガラス」事件<鶴岡裁判長>(課題・効果がクレームアップされている場合、クレームされた組成が同課題を高い蓋然性で満たすと認識できる必要がある。実施可能要件も同様)
(判旨抜粋)
…本願発明に係る特許請求の範囲…の記載は,光学ガラスを本願組成要件及び本願物性要件によって特定するものであり,そのうち,本願物性要件は,「高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供する」という本願発明の課題を,「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下」という光学定数により定量的に表現するものであって,本願組成要件で特定される光学ガラスを,本願発明の課題を解決できるものに限定するための要件ということができる。そして,このような本願発明に係る特許請求の範囲の構成からすれば,その記載がサポート要件に適合するものといえるためには,本願組成要件で特定される光学ガラスが発明の詳細な説明に記載されていることに加え,本願組成要件で特定される光学ガラスが高い蓋然性をもって本願物性要件を満たし得るものであることを,発明の詳細な説明の記載や示唆又は本願出願時の技術常識から当業者が認識できることが必要というべきである。…
本願明細書の実施例に係る組成物の組成が,…各数値範囲の一部のものにすぎないとしても,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時における光学ガラス分野の技術常識に鑑みれば,当業者は,本願組成要件に規定された各数値範囲のうち,実施例として具体的に示された組成物に係る数値範囲を超える組成を有するものであっても,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得るというべきであり,更に,そのように認識し得る範囲が,本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体(上限値や下限値)にまで及ぶものといえるか否かについては,成分ごとに,その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。…本件審決の判断は,…当業者が本願物性要件を満たす光学ガラスが得られるものと認識できる範囲を,実施例として具体的に示されたガラス組成の各数値範囲に限定するものにほかならないところ,…このような判断は誤りというべきである。本件審決は,…本願のサポート要件充足性を判断するに当たって必要とされる,本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得る範囲が本願組成要件に規定された各成分における数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについての具体的な検討を行うことなく,実施例として示された各数値範囲が本願組成要件に規定された各数値範囲の一部にとどまることをもって,直ちに本願のサポート要件充足性を否定したものであるから,そのような判断は誤り…といえる。
②平成24年(行ケ)第10151号「高強度高延性容器用鋼板」事件<芝田裁判長>(炭素の重量%のみを限定した「合金」が、明細書に記載された組成以外でもクレーム所定の数値限定を満足することがサポートされていないと判断した。)
【請求項1】 重量%で,C:0.005~0.040%を含有し,JIS5号試験片による引張試験における0.2%耐力が430MPa以上,全伸びが15%以下で,10%の冷間圧延前後のJIS5号試験片による引張試験における0.2%耐力の差が120MPa以下で,引張強度と0.2%耐力の差が20MPa以上であることを特徴とする板厚0.4mm 以下の高強度高延性容器用鋼板。
(判旨抜粋)
本件訂正発明…は,…鋼板の成分について,「C:0.005~0.040%を含有」すること以外,何ら特定していないから,C以外の様々な成分を様々な組合せ・含有量で含有する鋼を包含するものといえる。また,本件訂正発明は,鋼板の用途を「容器用」とするものであるが,これにより具体的にどのような成分及び組成範囲を有する鋼板であるのか,一義的に定まるともいえない(本件訂正発明に係る「容器」には,飲料缶,食品缶のほか,各種の容器が包含されるものと解され,ブリキ製品はこのような容器の一例にすぎないから,ブリキ製品についての標準的な規格であるASTM規格によって,成分及び組成範囲が一義的に定まるともいえない。)。したがって,本件訂正発明に係る容器用鋼板は,C:0.005~0.040%を含有し,容器に用いられるものである限り,各種の成分及び組成範囲を有する鋼板を包含するものと解される。…
訂正明細書の発明の詳細な説明には,上記イ以外の成分及び組成範囲を有する鋼(例えば,上記の鋼に,更にCr,Cu,Ni等を添加したものなど)を用いて製造された鋼板が,「JIS5号試験片による引張試験における0.2%耐力が430MPa以上,全伸びが15%以下」及び「10%の冷間圧延前後のJIS5号試験片による引張試験における0.2%耐力の差が120MPa以下で,引張強度と0.2%耐力の差が20MPa以上」を満たし,良好なフランジ成形性を有することについては,何ら開示されていない。
のみならず,そもそも,合金は,通常,その構成(成分及び組成範囲等)から,どのような特性を有するか予測することは困難であり,また,ある成分の含有量を増減したり,その他の成分を更に添加したりすると,その特性が大きく変わるものであって,合金の成分及び組成範囲が異なれば,同じ製造方法により製造したとしても,その特性は異なることが通常であると解される。そして,訂正明細書の発明の詳細な説明に開示された鋼の組成についてみると,含有する成分として,C:0.005~0.040%のほか,Si:0.001~0.1%,Mn:0.01~0.5%,P:0.002~0.04%,S:0.002~0.04%,Al:0.010~0.100%,N:0.0005~0.0060%と特定しているところ,上記以外の成分及び組成範囲を有する鋼を用いる場合においても,上記の所定の製造方法により製造された鋼板が,良好なフランジ成形性を有するものであるとは,当業者が認識することはできない…。
そうすると,鋼の組成について,「C:0.005~0.040%を含有」することを特定するのみで,C以外の成分について何ら特定していない本件訂正発明は,訂正明細書の発明の詳細な説明に開示された技術事項を超える広い特許請求の範囲を記載していることになるから,訂正明細書の発明の詳細な説明に記載されたものとはいえない。
5-2.従来技術を(一部)含む特許発明の新規性・進歩性が認められた裁判例
(1)出願当時の技術水準で分析/解析できなかった場合は、新規性〇
・東京地裁平成15年(ワ)第19324号「分岐鎖アミノ酸含有医薬用顆粒製剤とその製造方法」事件(三村裁判長)
(判旨)「特許法が,同法29条1項…2号の『公然実施』については,不特定多数の者の前で実施をしたことにより当該発明の内容を知り得る状況となったことを要するものであり,単に当該発明の実施品が存在したというだけでは,特許取得の妨げとはならない…。」
⇒「公然実施」でないとして、新規性・進歩性〇
・東京地裁平成16年(ワ)第4339号「低周波治療器」事件(高部裁判長)
⇒通常の方法で分解し,解析しても発明を知ることができない場合は「公然実施」とならず、新規性あり。
⇒結局、進歩性×
・大阪地裁平成20年(ワ)第4754号「X線異物検査装置」
(判旨)「物の発明においては,当該物が販売された場合,通常,公然実施されたことになるが,当業者が利用可能な分析技術を用いても,当該物が特許請求の範囲に記載されている物に該当するかどうかの判断ができない場合には,公然実施されたものとは認められない…。」
(2)出願当時の技術水準では具体的構成が知られていなかった場合は、新規性〇
・平成19年(行ケ)第10378号「結晶性アジスロマイシン2水和物」事件(田中裁判長)
(判旨)「『刊行物』に『物の発明』が記載されているというためには,まず,同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることが必要であり,また,発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば,当該物の発明の構成が開示されていることに止まらず,当該『刊行物』に接した当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要する」
⇒出願当時の当業者に、内在的特性(非公知物質)の認識がなかったことから、新規性あり
・平成25年(行ケ)第10163号「帯電微粒子水による不活性化装置」(設樂裁判長)
(判旨)「本件優先日時点の当業者において,上記粒子分布を有する引用刊行物記載の帯電微粒子水がラジカルを含むものであることを認識することができたものとは認められない。」
⇒出願当時の当業者に、内在的特性(非公知物質)の認識がなかったことから、新規性あり
(3)従来技術と数値範囲の一部が重なっていたが、技術的思想の相違を理由に、新規性・進歩性ありとされた裁判例
・平成17年(行ケ)第10222号「食品包装用ストレッチフィルム」事件(佐藤裁判長)
(判旨)「仮に,…正確な追試であったとしても,乙4~8からは,せいぜい乙4や乙7の実施例に記載されたストレッチフィルムがたまたま要件Bを満たすものであるといえるだけであって,要件Bのパラメータとストレッチ包装における特性との関連性及び要件Bを達成するための具体的な手段が,本件出願前に知られていたことにはならない。」
⇒出願当時の当業者が内在的特性(パラメータ)の認識がなかったことから、進歩性あり
・東京高判平成6年(行ケ)第30号
(判旨)「引用例1 に記載のニッケル-鉄合金素材も炭素含有量が0.01%以下のものであるから,本願発明の合金素材と同様に,早いエッチング速度を示し,結果として,製品の加工部の直線性や真円度が損なわれず,アラビが解消されるという作用効果を奏するものと認められるが,上記作用効果は,引用例1 に開示又は示唆されているものではない。進歩性の判断において問題となるのは,合金素材中の炭素含有量と上記作用効果との関連性が周知あるいは公知の事項として知られていたか否かということであって,この点が知られていなければ,炭素含有量をどの程度に設定すべきであるかということの着想が得られないはずであり,単に構成や作用効果の点で差異がないからといって,進歩性の議論が入り込む余地がないとはいえ…ない。」⇒刊行物記載の発明は炭素含有量0.009%に設定するに当たり本願発明の作用効果を意図したことは開示も示唆も無いから、新規性・進歩性〇
・東京高判平成6年(行ケ)第267号
(判旨)「本件発明と引用例記載の発明のパルス状電気信号の正部分の持続時間は,1 ミリ秒の点で一致していると認められる。…
仮骨生成段階である第1 段階を対象とする本願発明のものと一致するパルス状電気信号の正部分の持続時間を有するとして審決が引用したモード1 は,カルシウム成分の沈殿による仮骨から真正の骨への移行過程である第2 段階を対象とするものであり,本願発明のように仮骨の形成を目的とするものではない。したがって,引用例に持続時間を0.2 ミリ秒~ 1 ミリ秒とすることが記載されていること,及び,この記載に基づいてパルス状電気信号の正の部分の持続時間の最適条件を見いだすことは当業者が通常行うことであることを根拠とする相違点1 についての審決の判断には誤りがあると認められる。」
⇒引用例と適用される場面が相違するから技術的意義が異なる。⇒新規性・進歩性〇
・平成22年(行ケ)第10269号「土壌の無害化処理方法」事件(中野裁判長)
(判旨)「…本願発明における土壌に対する鉄粉の添加量は,甲1発明から算出される値と(下限が)一部重なることから,少なくとも当該重複部分については当業者が容易に想到可能なものである…」
⇒数値の一部が従来技術と重複しても、当然に新規性×ではない。
(4)従来技術と構成の一部が重なっていたが、拡大先願違反とならなかった裁判例
・平成25年(行ケ)第10291号「固体農薬組成物」事件(清水裁判長)
(判旨)「本願発明において,液体溶媒に分散された固体農薬活性成分が繊維作物の破断物の内部空隙まで浸透せずに表面に結着して存在する場合,生成物同士を比較すると,本願発明と拡大先願発明との間で固体農薬活性成分の存在形態に違いがない以上,両者を区別することはできない。…このように,本願発明と拡大先願発明の固体農薬組成物に重なり合う部分があることは否定できないが,本願発明の請求項に「液体の農薬活性成分」又は「農薬活性成分を液体溶媒に溶解もしくは分散させた液状物」を「含有」するという記載がある以上,拡大先願発明との対比においてこの点を無視することはできないのであって,拡大先願発明がこの点を具備しない以上,相違点と認めざるを得ない。」
(5)公然実施「発明」が完成したと言えるために、反復可能性が必要とした裁判例
・東京地裁平成24年(ワ)第11800号(高野裁判長)
(判旨)「特許法2条1項の「発明」は,自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいうから,当業者が創作された技術内容を反復実施することにより同一の結果を得られること,すなわち,反復可能性のあることが必要である(最高裁平成10年(行ツ)第19号…)。被告は…先行発明の技術的範囲に属する28本の先行製品を製造したのであって,先行発明には反復可能性があるから,被告が…先行発明を完成させていた…。」
(6)副引用「発明」も、「刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。」(知財高裁大合議判決)
・知財高判(大合議)平成28年(行ケ)第10182号「ピリミジン誘導体」事件<清水裁判長>
(判旨)「進歩性の判断に際し,本願発明と対比すべき同条1項各号所定の発明(以下『主引用発明』といい,後記『副引用発明』と併せて『引用発明』という。)は,通常,本願発明と技術分野が関連し,当該技術分野における当業者が検討対象とする範囲内のものから選択されるところ,同条1項3号の『刊行物に記載された発明』については,当業者が,出願時の技術水準に基づいて本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから,当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。」
(7)引用文献の実施例を追試して構造の同一性を示しても、出願当時に認識できたことまで裏付けていなければ、新規性を否定できない。
・平成29年(行ケ)第10041号「熱間プレス部材」事件(高部裁判長)
(判旨)「原告は,Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施した場合,Ni拡散領域,γ相,ZnO層が,下から上にこの順番で形成され,そのような表面構造を有するめっき部材が本件発明1の自然浸漬電位を有することは,…甲2による引用発明の再現実験により,確かにこの表面構造が生成することが確認されている旨主張する。しかし,…甲2の記載は,あくまで,原告が本件各発明を認識した上で本件特許の優先日後に行った実験の結果を示すものであり,本件特許の優先日時点において,当業者が,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が上記のとおりであることを認識できたことを裏付けるものとはいえない。」
(8)従属項が進歩性×であったが、引用例の必須成分を任意成分とすることは容易想到でないとして、独立項が進歩性〇と判断された事例
・知財高判平成29年(行ケ)第10121号「はんだ合金」事件<森裁判長>
(判旨)「合金の発明において,ある元素が必須成分として含まれるのと,任意成分として含まれるのとでは,その技術的な意味が異なることは明らかであるから,当該相違点は実質的な相違点である。そして,引用発明1においては,Niは,はんだ接合界面からのクラックの発生や伝播抑制のために必須成分として含有されるものであり,引用発明1において,このNiを任意成分とすることは,0.01質量%未満となることをも意味し,引用発明1におけるNi含有の技述的意義を損なうことになるから,当該相違点に係る構成を導くことは容易になし得たことであるとはいえない。」
(9)先使用医薬が発明の数値範囲に偶々入っていたとしても、当該パラメータを制御する技術思想がなかったことから、先使用「発明」を否定して、先使用権不成立とした裁判例。⇒主/副引用「発明」、公然実施「発明」の認定に影響を及ぼし得る、実務上重要な裁判例。
・知財高判平成29年(ネ)第10090号「医薬」事件(東和薬品v.興和)(高部裁判長)
(判旨)「控訴人が先使用権を有するといえるためには,サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明でなければならない。…仮に,本件2mg錠剤のサンプル薬又は本件4mg錠剤のサンプル薬の水分含量が1.5~2.9質量%の範囲内にあったとしても,…控訴人は,本件出願日前に本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬を製造するに当たり,サンプル薬の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内となるように管理していたとも,1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値となるように管理していたとも認めることはできない。…。」
5-3.自由技術の抗弁に関する裁判例及び学説
(1)裁判例
(中国では、広東省高級人民法院2010年10月28日は、被告の「現有技術抗弁」を認めた。)
大阪地判昭和45年4月17日「金属編籠事件」第一審は自由技術の抗弁を認めて差止請求を棄却したが、第二審の大阪高判昭和51年2月10日は、自由技術の抗弁を否定した。
東京地判平成2年11月28日「イオン歯ブラシ事件」(平成1年(ワ)4033)は、自由技術の抗弁は特許法の予定する制度趣旨に反するとして、内容の判断に入らずに、同抗弁を否定した。
東京地判平成9年4月25日「ゴム紐意匠事件」(平成5年(ワ)17437)は、「…意匠登録を無効とする審判の請求ができることとは別に,自己の実施している意匠が当該登録意匠との関係での公知意匠と同一あるいは実質的に同一であることを主張,立証して,当該登録意匠の範囲に含まれないという意味での請求権不発生の抗弁(これを名付けるならば「出願前公知意匠の抗弁」と呼ぶことができよう。)とすることができるものと解するのが相当である。即ち,前記の通り,意匠法3条1項は登録意匠の範囲には当該登録意匠との関係での公知意匠及び公知意匠に類似する意匠は含まれないことをも規定したものと解釈することができ,これに意匠権の効力が登録意匠及びこれに類似する意匠に及ぶとの趣旨の意匠法23条の規定を併せ考えても,登録意匠の意匠権の効力は,少なくとも当該登録意匠との関係での公知意匠には及ばないというのが意匠法の条文の趣旨と解されるばかりでなく,実質的に考えても,公知意匠の存在によって無効事由があるのにこれを看過して登録された意匠権に基づいて当該公知意匠と同一の意匠の実施の差止請求等の請求を容認するのは,ものの道理に合わないからである。」として、意匠権侵害訴訟において、自由技術の抗弁を認めた。
⇒控訴審である東京高判平成10年3月25日(平成9年(ネ)2248)も同旨。
東京地判平成13年12月21日「帯鋼の巻取装置事件」(平成12年(ワ)第6714号)は、「被告の自由技術の抗弁は,その主張において失当であるか否かはさておいて,被告製品の構成と乙9の構成とは異なるので,被告の主張は理由がない。すなわち,公知技術である乙9には,厚物ストリップの巻取りに際して,巻込側にトップ・マークの発生を伴わずに巻取る方法に関する,コイル巻取方法が開示され,その『特許請求の範囲』には,『複数のラッパ・ロールの圧接位置を単独にもしくはグループごとに調整可能に設け,ストリップのトップを巻付けたマンドレルが回転するとき回転周期の複数箇所においてストリップのトップが通過する時点を電気的に検出すること,ストリップのトップが巻付けられている部位の到来に対応する配置にあるラッパ・ロールの押付け位置を前記検出信号の指令によって巻取ストリップの厚み分だけ単独にもしくはグループごとに後退させること,を特徴とするコイル巻取方法。』と記載され,『発明の詳細な説明』…には,ラッパ・ロールをストリップの厚みだけ後退させることが記載されている。乙9の発明は,巻取るストリップにトップ・マークが発生することを防止するために,ラッパロールを段差と同じ距離だけ移動させるものであるのに対して,被告製品は,段差寸法より大きな距離を移動させる構成を採用している点において相違する。被告は,乙9の発明は,段差以上にも後退させ得ると主張するが,乙9には,ストリップの厚みだけを後退させ,それによって,「コイルの巻取厚の増加に対応したラッパ・ロールの取付け位置が自動的に提供されるから,コイルの巻取表面に対するロールの押付け力は,段差部,非段差部を問わず一定となり,トップ・マークの発生が防止できる」と明記されており(…),段差以上に後退させることまでも想定したものでないから,被告主張は理由がない。したがって,被告製品は,出願前公知である乙9の公開特許公報記載の発明と同一であるということはできず,この点の被告の主張は理由がない。」と判示して、”自由技術”の範囲の認定という文脈で、公知文献に記載された発明の範囲を検討したうえで、同事案においては否定した。(飯村裁判長)
大阪地判平成19年4月19日「ゴーグル事件」(平成17年(ワ)12207)は、「被告は…いわゆる公知技術の抗弁(自由技術の抗弁)を主張するものとも解される。そして,そもそもかかる抗弁が許容されるか否かはともかくとして,本件特許発明5が公知技術と対比して新規でかつ進歩性を有する発明であることは,前記10で判示したとおりであり,被告製品がこのように新規でかつ進歩性を有する本件特許発明5の構成要件をすべて具備する以上,同特許発明の技術的範囲に属するものというべきである。」と判示して、進歩性を有することを理由に、自由技術の抗弁を排斥した。(田中俊次裁判長)
⇒東京地判平成13年9月20日平成12年(ワ)第20503号同旨(三村裁判長)
知財高判平成25年8月9日「液体インク収納容器事件」(平成24年(ネ)10093)は、「自由技術の抗弁を特許権侵害訴訟における抗弁として認めることができるかどうかはともかくとして,同抗弁を主張する者は,少なくとも本件訂正発明1の全ての構成要件に対応する構成を備えた製品が本件特許の出願日において既に存在していたことを主張立証する必要があるところ(…),控訴人の上記主張は,控訴人各製品につき,本件訂正発明1の構成要件を考慮することなく,控訴人主張控訴人各製品構成のとおりに特定することを前提とするものであること,及び,本件特許の出願日における公知技術から極めて容易に推考できたものであるとの主張も含むものであり,そもそも自由技術の抗弁の主張とはいえず,主張自体失当であり,本件特許権の直接侵害又は間接侵害が成立しない旨の抗弁としてはこれを採用することはできない。」として、”自由技術の抗弁”を主張するために、特許発明の全ての構成要件に対応する構成を備えた製品が本件特許の出願日において既に存在していた必要があると判示した。(設樂裁判長)
⇒「本件訂正発明1の全ての構成要件に対応する構成を備えた製品が本件特許の出願日において既に存在していたことを主張立証」すれば、inherentの構成要件に係る”認識”までは要求されないのか?
(2)学説
●古城弁護士の論文(「特許侵害訴訟と公知技術-自由技術の抗弁再考-」(日本工業所有権法学会第29号, 2005年)は、特に参考になる。
⇒「自由技術の抗弁の範囲」は、A:公知技術と同一、B:公知技術と近似、C:公知技術から推考容易の3通りが考えられる。(Bは拡大先願の範囲、Cは進歩性否定の範囲)
⇒Bの範囲までは許容されるべきであるが、Cの範囲まで広げることは慎重な検討を要する。
⇒Bの範囲とは、例えば、以下のような場合などを挙げることができる。
①公知文献にある技術思想が記載されていて、対象物件はこれを具現化した一実施態様と評価される場合、
②公知文献にある技術思想又は実施態様が記載されており、対象物件はその要素の一部を変更しているが、その違いが特許出願時の当業者を基準に考えたときに単なる設計変更、単なる材料置換、好適な数値範囲の選択、構成要素の均等物置換等と評価できる程度のものである場合
③公知文献に特許出願時における周知技術や慣用技術を適用したにすぎない場合
●「侵害訴訟における無効の抗弁と自由技術の抗弁」(牧野和彦、知財管理Vol.58 No.4, 2008年)
⇒自由技術の抗弁で問題とすべき「公知技術」とは、ある程度幅をもった「概念」として把握すべきか、侵害訴訟における対象物件のように具体的な構成からなるいわば「点」として把握すべきかについては、「点」と捉えるべきである。また、選択発明に新規性・進歩性が認められる場合であれば、対象物件に対する侵害を認めないわけにはいかない。
上記古城論文と同じく「自由技術の抗弁の範囲」はABCの立場があり、Bの立場が多数説と思われ、著者の私見としてもBの範囲と考えている。公知技術と同一の場合には、これが侵害となるのであれば、必ず当該特許発明は新規性を欠如しているはずである。
(牧野弁護士が、inherentの”認識”の問題をどのように考えているかは不明である。)
●「空権容認説(新自由技術除外説)について」(佐藤富徳、パテントVol.55 No.3, 2002年)
⇒イ号発明が自由技術と均等技術であれば、非侵害となる。先使用権等の法定通常実施権の効力範囲に均等論を認めるかどうかの議論に通じる。
●「特許法104条の3の現状と今後の運用に関する私見」(小池豊、パテントVol.63 No.8, 2010年)
⇒ボールスプライン最高裁判決は、要するに、出願時に公知又は公知技術から容易に推考することができるような物件については技術的範囲に入れることができないと述べたものであり、そうであれば、最高裁は「自由技術の抗弁」を認めている。
以 上
(原告)リジェネロン・ファーマシューティカルズ・ インコーポレイテッド
(被告)アムジエン・インコーポレーテツド
執筆:高石秀樹(弁護士・弁理士)(特許ニュース令和3年0月0日の原稿を追記・修正したものです。)
監修:吉田和彦(弁護士・弁理士)
※本稿の内容は,一般的な情報を提供するものであり,法律上の助言を含みません。
〒100-8355 東京都千代田区丸の内3-3-1新東京ビル6階
中村合同特許法律事務所
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[i] クレームアップされた課題・効果を発明特定事項として認定し、進歩性を認めた近時の裁判例としては、例えば以下の3件がある。
①平成27年(行ケ)第10097号「発光装置」事件<大鷹裁判長>
【請求項1】…青色発光素子が放つ光励起下において前記赤色蛍光体は,内部量子効率が80%以上であ…る発光装置。
不純物の除去等の製造条件の最適化等により,蛍光体の内部量子効率を高めることについても,自ずと限界があることは自明であり,出発点となる内部量子効率の数値が低ければ,上記の最適化等により内部量子効率を80%以上とすることは困難であり,内部量子効率を80%以上とすることができるかどうかは,出発点となる内部量子効率の数値にも大きく依存するものと考えられる。…当業者は,甲3発明において,Sr2Si4AlON7:Eu2+蛍光体のSrの少なくとも一部をBaやCaに置換したニトリドアルミノシリケート系の窒化物蛍光体を採用した上で,さらに,青色発光素子が放つ光励起下におけるその内部量子効率を80%以上とする構成(相違点5に係る本件訂正発明の構成)を容易に想到することができたものと認めることはできない。…
一般論として,本件出願の優先日前において,青色発光素子が放つ光励起下における「ニトリドシリケート系の窒化物蛍光体」(α-サイアロン蛍光体を含む。)の内部量子効率が80%以上のものを製造できる可能性を技術常識に基づいて想定できたとしても,甲3に接した当業者が,甲3の記載事項を出発点として,甲3発明において,Sr2Si4AlON7:Eu2+蛍光体のSrの少なくとも一部をBaやCaに置換したニトリドアルミノシリケート系の窒化物蛍光体を採用した上で,さらに,青色発光素子が放つ光励起下におけるその内部量子効率を80%以上とする構成に容易に想到することができたかどうかは別問題であ(る)…。
②平成28年(行ケ)第10107号「乳癌再発の予防用ワクチン」事件<森裁判長>
【請求項1】…配列番号3のアミノ酸配列を有する…ワクチン組成物。
…本願優先日当時,あるペプチドにより多数のペプチド特異的CTLが誘導されたとしても,当該ペプチドに必ずしもワクチンとしての臨床効果があるとはいえない,という技術常識に鑑みると,ペプチド特異的CTLを誘導したことを示したにとどまる引用発明は,本願発明と同一であるとはいえない。…
被告は,CTLが誘導されれば癌に効くという技術的事項は,本願優先日前から周知であるから,引用発明の組成物は本願発明の「ワクチン」と同一である,と主張する。しかし,…本願優先日当時の技術常識を踏まえると,CTLが誘導されることは,癌ワクチンとして有効であるための前提条件であるものの,さらにCTLが癌細胞へ誘導され,癌細胞を破壊することが必要であり,そのような誘導や破壊ができない場合があるから,CTLが誘導されることと,癌ワクチンとして有効であることが技術的に同一であるとはいえない。…引用文献には「ワクチン」と表記されている箇所があるものの、「ワクチン」としての使用の可能性があることから、そのように述べたものと解されるから、引用発明が本願発明と同一であるということはできない。
③平成29年(行ケ)第10041号「熱間プレス部材」事件<高部裁判長>
【請求項1】…腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制されることを特徴とする熱間プレス部材。
引用例1には,引用発明が耐水素侵入性を有していることを示す記載はなく,このことを示唆する記載もない。また,本件特許の優先日当時において,引用発明が耐水素侵入性を有していることが技術常識であったことを認めるに足りる証拠はない。本件特許の優先日時点の当業者において,技術常識に基づき,引用発明が耐水素侵入性を有していることを認識することができたものとも認められない。よって,相違点⑶は実質的な相違点ではないとはいえないし,相違点⑶につき,引用発明及び技術常識に基づいて当業者が容易に想到できたものということもできない。
…甲2の記載は,あくまで原告が本件特許の優先日後に行った実験の結果を示すものであり,本件特許の優先日時点において,当業者が,引用発明の鋼板表面にNi拡散領域が生成することや,引用発明が耐水素侵入性を有することを認識できたことを裏付けるものとはいえない。