2021年08月05日
-令和2年(行ケ)第10015号「免疫原性組成物を安定化させ,沈殿を阻害する新規製剤」事件<鶴岡裁判長>-
◆判決本文
【本判決の要旨、若干の考察】
1.特許請求の範囲
【請求項1】「タンパク質コンジュゲートの,シリコーンにより誘発される凝集を阻害する…を含む多糖類-タンパク質コンジュゲート,を含む製剤。」
2.判旨抜粋
(相違点4)
製剤について,本件発明は,「シリコーン処理された容器中に含まれる多糖類-タンパク質コンジュゲートの,シリコーンにより誘発される凝集を阻害する」ものであるのに対し,公知発明1は,このような特定がない。
本件明細書の…開示事項を踏まえると,本件発明の製剤がシリコーン誘発凝集の阻害という効果を奏するという発明特定事項の技術的意義は,次のように理解される。①シリコーン誘発凝集には,肺炎球菌の血清型を問わず,遊離肺炎球菌コンジュゲートが関与している。②本件発明の製剤が(i)~(ⅲ)の組成を備えることにより,溶液中においては,肺炎球菌CRMコンジュゲートとアルミニウム塩とが結合し,遊離の肺炎球菌CRMコンジュゲートの量が相対的に減少した状態にある。③上記②の状態にあることにより,上記①の原理によるシリコーン誘発凝集が阻害される。…
相違点4に係る本件発明の発明特定事項,すなわち「シリコーン処理された容器中に含まれる多糖類-タンパク質コンジュゲートの,シリコーンにより誘発される凝集を阻害する」は,肺炎球菌CRMコンジュゲートとアルミニウム塩が結合して,溶液中の遊離肺炎球菌CRMコンジュゲートの量が所期の量まで減少した状態であることにより,遊離肺炎球菌CRMコンジュゲートが関与するシリコーン誘発凝集が阻害されることを意味する。これに対し,…公知発明1に接する当業者は,リン酸アルミニウムに吸着された肺炎球菌CRMコンジュゲートが公知発明1の製剤に含まれることを認識するにとどまり,公知発明1の製剤溶液中における遊離肺炎球菌コンジュゲートの有無及び量を,遊離肺炎球菌コンジュゲートが関与するシリコーン凝集という課題との関係で認識することは容易ではなかったといえる。また,本件発明の製剤中における遊離肺炎球菌CRMコンジュゲートの量は,公知発明1の7vPnCに対して追加する6種の血清型の肺炎球菌CRMコンジュゲートの量によって変わり得るし,追加する各血清型それぞれのアルミニウム塩への吸着しやすさによっても異なるから,当業者は,本件発明の組成を有する製剤の溶液中に遊離肺炎球菌CRMコンジュゲートが存在するかどうかさえ公知発明1から予測できず,その結果,遊離肺炎球菌CRMコンジュゲートが関与するシリコーン誘発凝集が本件発明の組成の製剤において阻害されるか否かも予測できない。
…原告は…相違点4は実質的には一致点であり,相違点とはならない旨主張する。しかしながら,…原告主張のように,凝集が生じ得るけれども通常はそれが阻害されていることを理解し得るとは必ずしもいえないし,ましてや,その凝集がシリコーンにより誘発されるものであるかどうかは断定し難いものといわざるを得ない。これに対し,本件発明は,13vPnCの凝集の原因をシリコーン誘発凝集であると明確に特定した上で,その凝集を阻害することを発明特定事項としているのであるから,この点において,公知発明1とは相違が存するものといえる。
3.若干の考察
本件判決においても、また、以下に紹介するクレームアップされた効果が構成であるとした上で、同構成が容易想到でないとした最近の裁判例3件を見ても、発明の「課題」(・「効果」)をクレームアップした場合,多くの裁判例においては,当該「課題」(・「効果」)が構成から必ず導かれる場合でない限り,発明特定事項と認められている。(逆に言えば、クレームアップした「課題」(・「効果」)が構成から必ず導かれる場合には、発明を特定していないから、発明特定事項として認められない。)
他方,「課題」(・「効果」) をクレームアップしてもしなくても,充足論においては当該「課題」(・「効果」)を達成できる必要があるように発明の技術的範囲が解釈されることが多いため(特許法 70 条 2 項),「課題」(・効果)をクレームアッ プしても実質的に発明の技術的範囲は狭まらないこともあり,進歩性(・サポート要件)を確保するために これをクレームアップすることが多い。
このように,クレームアップされた発明の「課題」(・「効果」)が発明特定事項と解釈されるのであれば, 逆に言えば,クレームアップされた発明の「課題」(・「効果」)が達成できないものは発明の要旨に含まれないのであるから,その部分がサポートされているか否かは関係ないはずであり,サポートされていないものを最適に除外するクレーム表現としても使われることがある。(このようなクレーム形式により特許権者勝訴となった一例が、「PCSK9に対する抗原結合タンパク質」事件(アムジエンv.サノフィ)」である。平成29年(ワ)第16468号<柴田>⇒平成31年(ネ)第10014号<高部>控訴棄却)
この点については、「特許法上の諸論点と,「課題」の一気通貫 (サポート要件・進歩性判断における「課題」を中心として)」(高石秀樹、パテント別冊Vol. 72 No. 12(別冊 No.22))の第5において詳述されている。
https://system.jpaa.or.jp/patent/viewPdf/3401
【関連裁判例】(クレームアップされた効果が発明特定事項であるとした上で、同構成が容易想到でないとして進歩性を認めた最近の裁判例4件)(クレームアップされた効果が発明特定事項であるとした上で、同構成が容易想到であるとして進歩性を否定した裁判例は他にも幾つかある。)
(1)平成27年(行ケ)第10097号【発光装置】事件<大鷹>
【請求項1】…青色発光素子が放つ光励起下において前記赤色蛍光体は,内部量子効率が80%以上であ…る発光装置。
不純物の除去等の製造条件の最適化等により,蛍光体の内部量子効率を高めることについても,自ずと限界があることは自明であり,出発点となる内部量子効率の数値が低ければ,上記の最適化等により内部量子効率を80%以上とすることは困難であり,内部量子効率を80%以上とすることができるかどうかは,出発点となる内部量子効率の数値にも大きく依存するものと考えられる。…当業者は,甲3発明において,Sr2Si4AlON7:Eu2+蛍光体のSrの少なくとも一部をBaやCaに置換したニトリドアルミノシリケート系の窒化物蛍光体を採用した上で,さらに,青色発光素子が放つ光励起下におけるその内部量子効率を80%以上とする構成(相違点5に係る本件訂正発明の構成)を容易に想到することができたものと認めることはできない。…
一般論として,本件出願の優先日前において,青色発光素子が放つ光励起下における「ニトリドシリケート系の窒化物蛍光体」(α-サイアロン蛍光体を含む。)の内部量子効率が80%以上のものを製造できる可能性を技術常識に基づいて想定できたとしても,甲3に接した当業者が,甲3の記載事項を出発点として,甲3発明において,Sr2Si4AlON7:Eu2+蛍光体のSrの少なくとも一部をBaやCaに置換したニトリドアルミノシリケート系の窒化物蛍光体を採用した上で,さらに,青色発光素子が放つ光励起下におけるその内部量子効率を80%以上とする構成に容易に想到することができたかどうかは別問題であ(る)…。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/748/085748_hanrei.pdf
(2)平成28年(行ケ)第10107号【乳癌再発の予防用ワクチン】事件<森>
【請求項1】…配列番号3のアミノ酸配列を有する…ワクチン組成物。
…本願優先日当時,あるペプチドにより多数のペプチド特異的CTLが誘導されたとしても,当該ペプチドに必ずしもワクチンとしての臨床効果があるとはいえない,という技術常識に鑑みると,ペプチド特異的CTLを誘導したことを示したにとどまる引用発明は,本願発明と同一であるとはいえない。…
被告は,CTLが誘導されれば癌に効くという技術的事項は,本願優先日前から周知であるから,引用発明の組成物は本願発明の「ワクチン」と同一である,と主張する。しかし,…本願優先日当時の技術常識を踏まえると,CTLが誘導されることは,癌ワクチンとして有効であるための前提条件であるものの,さらにCTLが癌細胞へ誘導され,癌細胞を破壊することが必要であり,そのような誘導や破壊ができない場合があるから,CTLが誘導されることと,癌ワクチンとして有効であることが技術的に同一であるとはいえない。…引用文献には「ワクチン」と表記されている箇所があるものの、「ワクチン」としての使用の可能性があることから、そのように述べたものと解されるから、引用発明が本願発明と同一であるということはできない。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/567/086567_hanrei.pdf
(3)平成29年(行ケ)第10041号【熱間プレス部材】事件<高部>
【請求項1】…腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制されることを特徴とする熱間プレス部材。
引用例1には,引用発明が耐水素侵入性を有していることを示す記載はなく,このことを示唆する記載もない。また,本件特許の優先日当時において,引用発明が耐水素侵入性を有していることが技術常識であったことを認めるに足りる証拠はない。本件特許の優先日時点の当業者において,技術常識に基づき,引用発明が耐水素侵入性を有していることを認識することができたものとも認められない。よって,相違点⑶は実質的な相違点ではないとはいえないし,相違点⑶につき,引用発明及び技術常識に基づいて当業者が容易に想到できたものということもできない。
…甲2の記載は,あくまで原告が本件特許の優先日後に行った実験の結果を示すものであり,本件特許の優先日時点において,当業者が,引用発明の鋼板表面にNi拡散領域が生成することや,引用発明が耐水素侵入性を有することを認識できたことを裏付けるものとはいえない。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/563/087563_hanrei.pdf
(4)令和1年(行ケ)第10076号【炎症性疾患および自己免疫疾患の処置の組成物】<森>
【請求項1】…配列番号1として記載されるポリペプチドと比較して,FOXP3陰性T細胞においてSTAT5のリン酸化を誘発する能力が低下…した…該炎症性疾患,障害または状態は,自己免疫疾患,器官移植片拒絶,または,移植片対宿主病である,組成物。
原告は,甲34及び39によると,「hIL-2-N88R」が,CD4陽性FOXP3陰性T細胞においても,STAT5のリン酸化を誘発する能力が低下していること(CD4陽性FOXP3陰性T細胞の増殖に対する活性が低下していること)を確認することができるため,CD4+細胞での効果は,先願発明2に内在していた効果にすぎず,それによって新たな用途が見いだされたわけではないから,このようなCD4+細胞での効果を理由に,公知の用途発明である本件発明1に新規性を認めることはできないと主張する。しかし,甲34及び39の上記の記載は,本件特許の出願日より後に行われた実験によるものであり,本件特許の出願日より前に,先願発明2の「hIL-2-N88R」が,CD4陽性FOXP3陰性T細胞についても,STAT5のリン酸化を誘発する能力を低下させる作用を有することが知られていたことについての証拠はないから,本件発明1の新規性が失われることはない。…
https://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/903/089903_hanrei.pdf
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【判示事項(抜粋)~クレームアップされた効果が構成であるとした上で、同構成が容易想到でないとした判示部分】
(相違点4)
製剤について,本件発明は,「シリコーン処理された容器中に含まれる多糖類-タンパク質コンジュゲートの,シリコーンにより誘発される凝集を阻害する」ものであるのに対し,公知発明1は,このような特定がない。
・・・
第4 当裁判所の判断
・・・
3 取消事由3(相違点4の判断誤り)について
⑴ 相違点4の発明特定事項の構成に関わる本件明細書の記載について
ア 本件明細書には,「多糖類-タンパク質コンジュゲートの,シリコーンにより誘発される凝集を阻害する」ことについての定義や具体的な説明の記載はないので,関連する本件明細書の記載を検討する。
イ 発明の課題及びその解決手段について
本件明細書には,次の内容を開示する記載がある。
(ア)(技術分野)
本件発明は,免疫原性組成物の沈殿を阻害する新規製剤に関するものである(【0001】)。
(イ)(発明の課題)
免疫原性組成物の安定性は,キャリアタンパク質,コンジュゲート化学,コンジュゲート部位の数,多糖類鎖の長さ,pH,貯蔵緩衝液,貯蔵温度および凍結/解凍サイクルなどの多くの因子を考慮しなければならない(【0003】【0004】)。また,シリコーン処理されたシリンジを使用したインシュリン製剤において,シリコーン油の混入のためにインシュリンが凝集し,不活化したことが知られているが,シリンジにおけるゴム栓の潤滑化,タンパク質吸着を抑えるため,シリンジの表面をシリコーン処理することは不可欠である(【0005】【0006】)。
本件発明は,シリコーン油の相互作用等に対して免疫原性組成物を安定化させ,沈殿を阻害する製剤を提供することを目的とする(【0007】【0008】)。
(ウ) (課題解決のための手段)
本件発明の製剤は,シリコーン処理された容器中に含まれる多糖類-タンパク質コンジュゲートのシリコーンにより誘発される沈殿を阻害する製剤である(【0022】)。
(エ) (発明の効果)
本件発明に係る製剤によれば,容器で,加工,開発,製剤,製造および/または貯蔵される免疫原性組成物を安定化させ,その微粒子形成(例えば,凝集,沈殿)を阻害することができる(【0051】)。
ウ 13価肺炎球菌CRMコンジュゲート(13vPnC)におけるアルミニウム塩とシリコーン誘発凝集との関係について
(ア) 本件明細書の開示事項
発明の実施形態の一つとして,(i)pH緩衝塩溶液が5mMコハク酸塩緩衝液(pH5.8)であり,(ⅱ)アルミニウム塩として0.25mg/mlの濃度のリン酸アルミニウムを含む13価肺炎球菌CRMコンジュゲート免疫原性組成物(以下「実施例13vPnC組成物」という。)が記載され(【0022】【0023】【0029】【0057】),実施例3として,実施例13vPnC組成物からなる製剤及びこれからリン酸アルミニウムを除いた製剤につき,シリコーン処理されたシリンジ中における微粒子形成(凝集)の生成についての実験が行われている(【0117】~【0124】)。
ここで,実施例13vPnC組成物に含まれる13価肺炎球菌CRMコンジュゲート(以下「13vPnC」ということがある。)は,本件発明の製剤の(ⅲ)の13価の肺炎球菌コンジュゲートに相当する。また,本件明細書には,これ以外に,組成に関する本件発明の構成を充たす具体的な製剤の記載はない。
そして,実験の結果によれば,リン酸アルミニウムを除いた組成物をシリコーン処理された容器に充填した際には,13vPnC粒子が容易に観察可能に生成したのに対して,リン酸アルミニウムを含む実施例13vPnC組成物をシリコーン処理された容器に充填した際には,13vPnC粒子の生成は有意に減少した(【0117】)。また,リン酸アルミニウムを除いた組成物を容器の部品(ストッパー等)と接触させた別の実験において,シリコーン処理されていない部品と接触させた際は粒子が検出されなかったのに対して,シリコーン処理された部品と接触させた際は粒子形成が誘発された(【0118】~【0124】)。
(イ) 上記(ア)の本件明細書の開示からは,本件発明の製剤が,(i)~(ⅲ)の組成からなり,その組成中に(ⅱ)のアルミニウム塩を含むことによって,肺炎球菌コンジュゲートのシリコーン誘発凝集が阻害された製剤である旨を理解できる。
エ 遊離13vPnCとシリコーン誘発凝集との関係について
(ア) 本件明細書の開示事項
実施例13vPnC組成物には,リン酸アルミニウムと結合した13vPnCが約85%,遊離の(リン酸アルミニウムと結合しない)13vPnCが約15%存在する(【0128】)。そして,実施例13vPnC組成物を遠心分離して得た上清をシリコーン処理された容器の部品と接触させると,凝集が生じる(【0129】)。
これに対し,7価の肺炎球菌CRMコンジュゲート免疫原性組成物(実施例13vPnC組成物から6種類の血清型を除いた組成物。以下「対照例7vPnC組成物」という。)では,すべての7価肺炎球菌CRMコンジュゲート(以下「7vPnC」という。)がリン酸アルミニウムと結合し,遊離7vPnCが存在しない(【0128】)。そして,対照例7vPnC組成物を遠心分離して得た上清をシリコーン処理された容器の部品と接触させても,凝集は生じない(【0129】)。
この実験からは,遊離の(リン酸アルミニウムと結合していない)13vPnCの存在が,シリコーン誘発凝集に関与したことが示唆される(【0129】)。
(イ) 上記(ア)の本件明細書の開示からは,本件発明の製剤において,組成物中にアルミニウム塩を含有させることによってシリコーン誘発凝集が阻害される(上記ウ(イ))のは,13vPnCのうちの大部分(上記(ア)の例でいえば85%)がリン酸アルミニウムと結合することにより,遊離13vPnCの量が顕著に(上記(ア)の例でいえば15%に)減少したことの結果である旨を理解できる。
すなわち,本件発明の製剤では,上記の(ⅰ)~(ⅲ)の組成を採用したことによって,アルミニウム塩と13vPnCとが結合し,遊離の13vPnCが所期の量に減少した状態にあり,その効果としてシリコーン誘発凝集が阻害されている。
オ 1価の肺炎球菌CRMコンジュゲートにおけるアルミニウム塩とシリコーン誘発凝集との関係について
(ア) 本件明細書の開示事項
リン酸アルミニウムを含まず,13vPnC(各血清型のPnCの合計濃度約61μg/ml)に代えて同じ濃度(61μg/ml)の1価のPnC(血清型は6B)を含む製剤を調製し,2ppm~100ppmの濃度でシリコーンを添加した実験では,すべてのシリコーン濃度で凝集が生じた(【0125】【0126】)。
また,1価の肺炎球菌CRMコンジュゲート(血清型4又は6B)を用い,リン酸アルミニウムを含む製剤と含まない製剤との間で,シリコーン処理された容器の部品と接触させたときの凝集の有無を調べた実験を行った。その結果,血清型4又は6Bのいずれであっても,リン酸アルミニウムを含まない製剤ではタンパク質濃度が低くても凝集が生じたのに対して,リン酸アルミニウムを含む製剤ではタンパク質濃度が一定以上に高くなったときにのみ凝集が生じた。また,血清型4と6Bとではアルミニウムに対する結合性が異なり,リン酸アルミニウムを含む製剤のタンパク質濃度を上げていったときに凝集が生じ始める濃度は,血清型4と6Bとで異なっていた(【0130】【0131】)。
(イ) 上記(ア)の本件明細書の開示からは,たとえ1価であっても,肺炎球菌CRMコンジュゲートの濃度(タンパク質濃度)が増加すれば,アルミニウム塩が添加されていない製剤ではシリコーン誘発凝集が生じる旨を理解できる。
すなわち,本件発明において,アルミニウム塩の含有によってシリコーン誘発凝集が阻害されていること(上記ウ(イ))は,肺炎球菌CRMコンジュゲートが13価であることに特有の効果ではなく,肺炎球菌CRMコンジュゲートの価数にかかわりなく得られる効果であって,その効果の程度は,製剤中の肺炎球菌コンジュゲートの量とリン酸アルミニウムの量との相対的な関係によって定まる。また,かかる効果の程度は,肺炎球菌CRMコンジュゲートの血清型によっても異なる。
カ pH調整緩衝液とシリコーン誘発凝集との関係について
本件明細書には,pH緩衝塩溶液がシリコーン誘発凝集やアルミニウム塩と肺炎球菌CRMコンジュゲートとの結合に及ぼす影響等についての記載はなく,また,5mMのコハク酸塩緩衝液と異なるpH緩衝塩溶液を用いた13vPnC免疫原性組成物の開示もない。このため,本件発明が特定する組成のうち(i)のpH緩衝塩溶液が,シリコーン誘発凝集の阻害という効果にどのように関連するかは,本件明細書の開示からは不明である。
もっとも,本件明細書には,本件発明の13vPnCの代わりに,別のタンパク質を用い,界面活性剤も配合した製剤の,当該タンパク質とリン酸アルミニウムとの結合を調べた実験において,異なるpH緩衝塩溶液を用いると全タンパク質に対するリン酸アルミニウム結合タンパク質の割合が変化することが開示されているので(【0144】~【0146】),本件発明の製剤においても,(ⅱ)のアルミニウム塩と(ⅲ)の肺炎球菌CRMコンジュゲートとの結合に(i)のpH緩衝塩溶液が影響を及ぼし得ることは推認できる。
⑵ 相違点4に係る発明特定事項の技術的意義について
本件明細書の上記⑴の開示事項を踏まえると,本件発明の製剤がシリコーン誘発凝集の阻害という効果を奏するという発明特定事項の技術的意義は,次のように理解される。
① シリコーン誘発凝集には,肺炎球菌の血清型を問わず,遊離肺炎球菌コンジュゲートが関与している。
② 本件発明の製剤が(i)~(ⅲ)の組成を備えることにより,溶液中においては,肺炎球菌CRMコンジュゲートとアルミニウム塩とが結合し,遊離の肺炎球菌CRMコンジュゲートの量が相対的に減少した状態にある。
③ 上記②の状態にあることにより,上記①の原理によるシリコーン誘発凝集が阻害される。
⑶ 公知発明1の技術的意義
公知発明1は,7価プレベナーから認定されるものであるが,7価プレベナーが上市された医薬品であることにかんがみると,公知発明1の技術的意義を理解するに当たっては,7価プレベナーの製品情報等の書面を参酌することが許されるといえる。
甲1の別紙Bは,欧州医薬品評価庁(The European Agency for the Evaluation of Medical Products, EMEA)が発行した7価プレベナーの欧州公的評価報告書(European Public Assessment Report, EPAR)であり,甲1の本文(インターネットアーカイブの検索結果に関する宣誓供述書)によれば,本件優先日以前に公衆に利用可能となった刊行物である。
同報告書には,公知発明1の組成が記載されているほかに,7種の肺炎球菌は「CRM197キャリアタンパク質にコンジュゲートされ,リン酸アルミニウム(0.5mg)に吸着」されている旨の記載がある。ただし,同報告書には,7価の肺炎球菌CRMコンジュゲートがリン酸アルミニウムに吸着されていることの技術的意義について開示又は示唆する記載はなく,本件証拠中の文献を精査しても,当該技術的意義に関する記載は見出せない。
⑷ 相違点4の容易想到性
上記⑵のとおり,相違点4に係る本件発明の発明特定事項,すなわち「シリコーン処理された容器中に含まれる多糖類-タンパク質コンジュゲートの,シリコーンにより誘発される凝集を阻害する」は,肺炎球菌CRMコンジュゲートとアルミニウム塩が結合して,溶液中の遊離肺炎球菌CRMコンジュゲートの量が所期の量まで減少した状態であることにより,遊離肺炎球菌CRMコンジュゲートが関与するシリコーン誘発凝集が阻害されることを意味する。
これに対し,上記⑶によれば,公知発明1に接する当業者は,リン酸アルミニウムに吸着された肺炎球菌CRMコンジュゲートが公知発明1の製剤に含まれることを認識するにとどまり,公知発明1の製剤溶液中における遊離肺炎球菌コンジュゲートの有無及び量を,遊離肺炎球菌コンジュゲートが関与するシリコーン凝集という課題との関係で認識することは容易ではなかったといえる。また,本件発明の製剤中における遊離肺炎球菌CRMコンジュゲートの量は,公知発明1の7vPnCに対して追加する6種の血清型の肺炎球菌CRMコンジュゲートの量によって変わり得るし,追加する各血清型それぞれのアルミニウム塩への吸着しやすさによっても異なるから,当業者は,本件発明の組成を有する製剤の溶液中に遊離肺炎球菌CRMコンジュゲートが存在するかどうかさえ公知発明1から予測できず,その結果,遊離肺炎球菌CRMコンジュゲートが関与するシリコーン誘発凝集が本件発明の組成の製剤において阻害されるか否かも予測できない。
以上によれば,相違点4に係る発明特定事項,すなわち,シリコーン処理された容器中において肺炎球菌CRMコンジュゲートのシリコーン誘発凝集を阻害するために,製剤が(ⅰ)~(ⅲ)の組成を備えることは,当業者にとって,公知発明1から容易に想到し得るものではない。
⑸ 原告の主張について
ア 実質的相違点ではない旨の主張について
原告は,7価プレベナーの製品情報に接した当業者は,7価プレベナーにおいてもシリコーン誘発凝集が何らかの理由により阻害されていると理解したこと,7価プレベナーにおいて生じていたリン酸アルミニウムによるシリコーン誘発凝集の阻害は,13vPnCにおいても,程度はともかくおのずと生ずること,からすれば,相違点4は実質的には一致点であり,相違点とはならない旨主張する。
しかしながら,7価プレベナーの製品情報(甲1の別紙B)における”(t)he vaccine should …… be inspected visually for any particulate matter and/or variation of physical aspect prior to administration.”(「ワクチンは……投与の前に視覚的に物理面のいかなる粒子状物質や変化も詳しく調べられなければならない」)との記載は,注射用薬剤の使用に先立っての一般的な注意事項として,製造上や保管上の不具合により変質が生じていないか確かめるべきことの指示としても理解できる記載であるから,多糖類-タンパク質コンジュゲート製剤のシリコーン凝集についての知見が存在しなかった本件優先日当時の当業者は,上記記載に接して,原告主張のように,凝集が生じ得るけれども通常はそれが阻害されていることを理解し得るとは必ずしもいえないし,ましてや,その凝集がシリコーンにより誘発されるものであるかどうかは断定し難いものといわざるを得ない。これに対し,本件発明は,13vPnCの凝集の原因をシリコーン誘発凝集であると明確に特定した上で,その凝集を阻害することを発明特定事項としているのであるから,この点において,公知発明1とは相違が存するものといえる。
したがって,審決が相違点4を認定したことに誤りはなく,原告の上記主張は採用できない。
イ シリコーン誘発凝集阻害という課題の発見の容易性について
原告は,タンパク質製剤におけるシリコーン誘発凝集は知られており,タンパク質の凝集が多糖類-タンパク質コンジュゲート凝集の原動力であることを当業者は理解していたから,公知発明1に6種の肺炎球菌CRMコンジュゲートを追加することによりタンパク質含量が増える13価の肺炎球菌CRMコンジュゲート製剤でシリコーン誘発凝集が生じることは予見可能であった旨主張する。
しかし,原告がその主張の根拠とする公知文献(甲25,26,71)は,キャリアタンパク質がCRM又は破傷風毒素(TT)である多糖類-タンパク質コンジュゲートの構造的不安定性に関連する凝集について記載するのみであるから,これらの公知文献からは,多糖類-タンパク質コンジュゲートのシリコーン誘発凝集が本件優先日当時に課題として当業者に認識されていたとはいえない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
ウ 課題の解決手段の適用の容易性について
上記イで述べたとおり,当業者は本件発明の課題を認識できないから,既にこの点において容易想到性は否定されることになるが,念のため,課題解決手段適用の容易想到性に関する原告の主張についても検討しておく。
(ア) タンパク質製剤のシリコーン誘発凝集の解決手段に関する知見につき
原告は,当該課題の解決のために,当業者は,タンパク質製剤におけるシリコーン誘発凝集の解決手段に関する知見を採用し得た旨主張する。
しかしながら,原告がその主張の根拠とする公知文献(甲3,69)には,タンパク質医薬品のシリコーン誘発凝集についての記載はあるが,多糖類-タンパク質コンジュゲートのシリコーン誘発凝集についての記載はない。他方,多糖類-タンパク質コンジュゲートの構造的不安定性や凝集は,タンパク質部分のみでなく多糖類部分の影響も受けることが知られていたところ(甲25,50),多糖類とタンパク質は構造や性質が異なるから,両者の挙動は異なることが当然に予想される。そうすると上記公知文献(甲3,69)に記載されたタンパク質医薬品のシリコーン誘発凝集についての知見が,多糖類-タンパク質コンジュゲートのシリコーン誘発凝集にも直ちに妥当するものとは認められない。また,上記公知文献は,タンパク質医薬品のシリコーン誘発凝集の問題を解決する手段として,それぞれ,界面活性剤の添加又はシリコーン含有量の低減を開示するのみであって,本件発明の構成であるアルミニウム塩の添加には触れていないから,公知発明1にタンパク質製剤のシリコーン誘発凝集の解決手段に関する上記公知文献記載の知見を適用しても,本件発明の構成には至らない。
したがって,原告の上記主張は採用できない。
(イ) アルミニウム塩の発揮する効果に関する知見につき
原告は,凝集体の発生に関連するタンパク質の疎水性表面への吸着はアルミニウム粒子で防ぐことができるとの知見(甲81の3,76)があったから,疎水性界面を示すシリコーンによるワクチンの凝集も,アルミニウム塩をアジュバントとすることにより防ぐことができると当業者は理解したと主張する。
しかし,上記知見においては,容器の疎水性表面へのタンパク質の吸着は,液体(製剤)と固体(容器)との界面における容器表面とタンパク質分子との相互作用に関連すると理解されていたのに対し(甲81の3),タンパク質医薬品のシリコーン誘発凝集は,微量のシリコーンの存在と空気-液体界面におけるタンパク質の変性や(甲3),タンパク質結合に関与する分子間相互作用へのシリコーンの影響(甲69)に関連すると考えられており,シリコーン誘発凝集がタンパク質のシリコーンへの吸着によって生じると考えられていたとは認められないから,疎水性表面へのタンパク質の吸着をアルミニウム粒子により阻害する旨の上記知見を,直ちに肺炎球菌CRMコンジュゲートのシリコーン誘発凝集の阻害のために適用することは困難であったといえる。
したがって,原告の上記主張は採用できない。
エ 単なる「発見」にすぎないとの予備的主張について
原告は,相違点4に係る発明特定事項は,ワクチン製剤のアジュバントとしてアルミニウム塩を選択するという周知慣用技術を採用したとき,アルミニウム塩が肺炎球菌CRMコンジュゲートワクチン製剤においてはシリコーン凝集阻害という効果を示すという,公知発明1(7価プレベナー)でも生じていたメカニズムを「発見」したにすぎないから,相違点4を根拠に本件発明の進歩性を認めることは,自由技術に独占権を与えることになって不当である旨主張する。
しかし,この主張は,本件発明と公知発明1とは実質的には同一であるという前記の主張と本質を同じくするものであるといえるところ(すなわち,本件発明と公知発明1とは実質的には同一であって,発明の構成において違いはないという前提があって初めて,本件発明の独自性は,凝集のメカニズムを「発見」したにすぎないという議論が成り立ち得ることになるはずである。),この主張を採用することができないことは既に説示したとおりである。
したがって,原告の上記予備的主張は採用することができない。
原告(無効審判請求人):メルク・シャープ・アンド・ドーム・コーポレーション
被告(特許権者):ワイス・エルエルシー
執筆:高石秀樹(弁護士・弁理士)(特許ニュースの原稿ではありません。)
監修:吉田和彦(弁護士・弁理士)
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