-令和元年(行ケ)第10120号「油冷式スクリュ圧縮機」事件<鶴岡裁判長>-
◆判決本文
【本判決の要旨、若干の考察】
1.特許請求の範囲(請求項1)
「油とともに吐出された圧縮ガスから油を分離回収し,一旦下部の油溜まり部に溜め,油分離された圧縮ガスを送り出す油分離回収器を吐出流路に設ける一方,スクリュロータの両側に延びるロータ軸をラジアル軸受により回転可能に支持して入力軸を吸込側のロータ軸とし,吐出側のロータ軸を上記ラジアル軸受よりもスクリュロータから離れた位置にてスラスト軸受により回転可能に支持するとともに,上記スラスト軸受よりもスクリュロータから離れた位置にて上記ロータ軸にバランスピストンを取り付け,かつ上記スラスト軸受とこのバランスピストンとの間に圧力遮断する仕切り壁を設け,このバランスピストンの仕切り壁側の空間に,上記油溜まり部の油を加圧することなく導く均圧流路を設けて形成したことを特徴とする油冷式スクリュ圧縮機。」
2.主引例(甲1発明)との相違点のうち、無効審決と異なり容易想到と判断された相違点
「(ウ) 相違点3
バランスピストンのスラスト軸受側の空間に,油を導く経路を設けて形成したことに関して,本件特許発明においては,バランスピストンの仕切り壁側の空間に,「上記油溜まり部の油を加圧することなく導く」均圧流路を設けて形成したのに対し,甲1発明においては,スラストピストン62の上記アンギユラコンタクトボールベアリング56側の空間であるスラストピストン室60に,高圧ガスから分離されて冷却されてコンプレツサへと再循環される液体を,ポンプ140を経由して導く経路 (136,138,142,144,134,168,166,172)を設けて形成した点。」
3.本判決の要旨
本判決は、「逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)の発生という技術的課題」が、主引例(甲1)に直接言及されていなかったが、公知文献(甲2)に記載があることを理由として、以下のとおり判示し、本件特許出願日に当業者が認識できた一般的課題であり、同課題は主引例(甲1)にも生じるから、同課題を解決するために、主引例に周知技術(甲2~5)を組み合わせて、本件発明に想到する(相違点3を埋める)ことは容易であると判断した。
「当業者であれば,逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)の発生という課題は…スクリュ圧縮機一般に生じることを認識することができるものと認められ,甲1発明…にも生じることを認識することができる…。このように,甲1発明についても,…そのような課題を解決するために,逆スラスト荷重解消のために非加圧の経路を設けるという動機付けも生じる…。そうすると,逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)が発生するという技術的課題やその課題の解消について甲1に直接の言及がないとしても,そのような課題を解決するために甲1発明に非加圧の経路を設けるという動機付けが生じる…。」
4.若干の考察
近時、進歩性判断における発明の課題の重要性が強調されており、本件発明の課題も、引用発明の課題も重要なファクターであり、本件発明の課題と引用発明の課題との相違を理由として進歩性を否定する裁判例も散見される。
他方、以下「②」に引用するとおり、必ずしも、本件発明の課題と引用発明の課題とが共通しなくても、引用発明において、本件発明とは異なる課題を解決した結果本件発明に想到するという論理付けが採られて、進歩性を否定した裁判例もある。
これと関連して、本裁判例のように、また、以下「①」に引用するとおり、引用文献に言及されていなくても、本件特許出願日に当業者が認識できた一般的課題、自明な課題、当然の課題が認定され、これが引用発明にも適用されるとして進歩性を否定した裁判例も一定数存在する。
以下に引用した裁判例①②は、進歩性を否定した裁判例のみを紹介したが、その背後に、進歩性が認められた裁判例の方が多いため(令和3年末現在)、これらの裁判例に全面的に依拠するのではなく、バランス感覚を持って実務を行うことが望ましい。
【関連裁判例の紹介(①一般的課題・自明な課題を認定して、進歩性を否定した裁判例)】
(1)平成29年(行ケ)第10147号「…チアゾールカルボン酸の結晶多形体」事件<髙部裁判長>
結晶多形を認識可能⇒最適な結晶形の探索は一般的課題
「…結晶多形が存在する医薬品においては,本件優先日当時の当業者の技術常識として,上記技術課題を解決するべく,再結晶条件につき検討を加えることでバイオアベイラビリティ(生体内での有用性),結晶状態における安定性及び製剤特性等の種々の要因を考慮して最適と思われる結晶形を探求し,これを得ようとすることは,当業者が当然に行うことということができる。…本件化合物は…結晶多形の存在を認識し得る。そうすると,引用発明…の結晶について,当業者には,再結晶条件につき検討を加えることで,安定性や製剤化に優れる結晶多形体を得ることについての動機付けがある…。」
(2)平成30年(行ケ)第10108号「廃棄物の処理方法」事件<髙部裁判長>
引用発明の自明な課題として内在する。⇒主引例と副引例とで、課題は共通する(最終結論は進歩性〇)
「…引用発明において処理の対象となる「有機系廃棄物」にも,重金属が含まれ得ること,及びその溶出を防止することは,引用発明が属する技術分野において,当業者が当然に考慮すべき課題であると認められ,処理後の廃棄物と液体との分離に焦点を当てた引用例1にそのことが明示的に記載されていなくても,引用発明の自明の課題として内在している…。…引用発明と甲2技術とは,廃棄物中の重金属の溶出を防止するという点で,解決すべき課題が共通する…。…
…甲2には,前記有機系廃棄物の固形物上にトバモライト構造が層として形成されることの記載はない…。…トバモライト構造が「前記有機系廃棄物の固形物上に」「層」として「形成」されることが周知技術であったとは認められず,…引用発明1に甲2技術を適用して相違点2’に係る本願発明の構成に至るということはできない。」
(3)平成30年(ネ)第10010号「加熱処理システム」事件<森裁判長>
共通する技術分野の普遍的な課題を解決した。⇒動機付けあり
「引用発明1と乙5に記載された前記の技術とは,換気装置と調理器具との間で赤外線により信号伝達を行う点で共通するところ,信号伝達を行う場合,その信号伝達の信頼性の向上を図ることは,普遍的な課題であるといえるから,通信の信頼性を向上させるために,赤外線送受信機の損傷を防ぐために,引用発明1に乙5に記載された前記の技術的事項を組み合わせることには,動機付けがあるといえる。」
(4)平成26年(行ケ)第10071号「果菜自動選別装置」事件<清水裁判長>
引用例の課題は内在していると判断した。Cf.H27(行ケ)10120、Cf.H29(行ケ)10013
「…甲2発明1は,…キューイの相互接触により,…キューイの商品価値が損なわれるという問題点を解決するために,コンベアの搬送面上に形成した受け部に果菜物を個々に載置し,果菜物を所定間隔に離間した姿勢に保持して搬送することで,搬送中における果菜物の接触及び衝突を防止することとしたものであるところ,搬送物を選別振り分けする際に,搬送物が壁等の設備に衝突することを防止したり,搬送物同士の相互接触を防止したりするという課題は,ボックス内に整列させる際のみならず,選別・搬送の全過程を通じて内在していることは明らかである。」
(5)平成21年(行ケ)第10319号「二区画エアゾール装置」事件<滝澤裁判長>
課題は共通しないが自明な課題であり、設計事項とされた。
「…本願発明の課題である毛髪へ内容物を確実に分配するという点は,引用発明においても自明の課題として共通する…。
…高圧ガス保安法による規制があることにより,当業者においてエアゾール装置である製品としては9ないし11バールに圧力を設定することがこれまでなかったとしても,発明の創作という技術的観点からすると,「圧縮ガスの圧力を内容物に応じて定めること」との周知な事項に基づいて,引用発明において,毛髪トリートメント組成物を噴霧するに好適な圧力を8バールを超える範囲でも実験的に探索し,その結果,9ないし11バールの圧力を求めることは,原告だけでなく,当業者のだれでも,その通常の創作活動として可能であったということができる。そして,9ないし11バールの圧力範囲に設定すること自体に格別な技術的意義や効果があるとは認められないのであるから,当業者による通常の創作能力により実験的に数値範囲を最適化又は好適化したというにすぎず,本願発明は当業者が容易に発明をすることができた…。」
(6)平成22年(行ケ)第10147号「バイオセンサおよびそれに用いる電極セット」事件<滝澤裁判長>
当業者にとって当然の技術的課題だから、動機付けあり。
「原告は、引用発明…は…正確な分析を可能にするため,試薬の厚さを均一にするべく凹部を設けることが示唆されていない等と主張する。しかしながら、化学物質の有無や濃度を検出する分析機器であるバイオセンサにおいて,正確な測定,分析を行うことは当業者にとって自明の事柄であり,正確な測定,分析を行うための機器の実現は当業者にとって当然の技術的課題にすぎない。また,電極上の試薬の厚さが均一でなく,例えば反応域ないし反応層の一部にこれらが広がっていないような極端な場合には,当該センサを用いた正確な測定,分析を行うことができないのは明らかであるから,引用発明の発明者や刊行物1に接した当業者において,電極上の試薬の厚さを考慮しないとは考え難い。…
そうすると,仮に刊行物1に試薬の厚さについての記載が明示されていないとしても,当業者において当然に考慮すべき事柄であって,電極上の試薬の厚さを均一にするべく,引用発明のバイオセンサに刊行物2の「モート」を組み合わせて,電極の周囲に凹んだ部分すなわち「凹部」を設ける動機付けに欠けるところはないというべきである。」
【関連裁判例の紹介(本件発明、引用発明の課題に関する重要裁判例)⇒何れも進歩性×】
(1)平成25年(行ケ)第10275号「加硫ゴム組成物」事件<石井裁判長>
本件発明の課題を認識しなくても本件発明の「構成」に容易に想到できれば進歩性×
「被告は,甲1文献ないし甲3文献には,化学変性ミクロフィブリルセルロースを含有する加硫ゴム組成物における転がり抵抗特性,操縦安定性及び耐久性の性能バランスの改善という本件発明1の課題は開示されておらず,かかる課題の解決のために天然ゴム等のゴム成分を用いることの示唆等もない以上,当業者が本件発明1の構成を容易に想到し得たとはいえない旨主張する。…しかしながら,…甲3文献の記載によれば,変性ミクロフィブリルセルロースを用いることによる分散性の改善という課題の解決は,各種製品の材料として慣用される様々なポリマー等の疎水性媒体一般に妥当するものと理解することができるから,甲3発明Aのスチレン-ブタジエンコポリマーを天然ゴム等の周知のゴム成分に置換することの動機付けが存在するということができる。なお,本件発明1の容易想到性を判断するに当たっては,甲3発明Aから本件発明1の構成に至ることを合理的に説明することができれば足り,本件発明1の課題を認識するなど,実際に本件発明1に至ったのと同様の思考過程を経る必要はないというべきである。」
(2)平成28年(行ケ)第10039号「医療用複室容器」事件<清水裁判長>
副引用例で引用発明の課題が解決されても、別の方法で解決しようとする動機は失われない。
「…甲8の2では,注排口を改良することによって,本件空間部に水分がないため空間内及び注排口内部を滅菌することができないという課題と,本件空間部に水分を入れようとする場合の問題点を,同時に解決したものであるところ,課題の解決方法は1つとは限らないし,甲8の2で引用発明の課題を解決していることによって,引用発明の課題自体を認識できなくなるわけではないから,認識した課題を別の方法で解決しようという動機までもがなくなるものではない。」
(3)平成27年(行ケ)第10114号「タイヤ」事件<高部裁判長>
当業者は、主引例の問題を完全に解決するために、他の解決手段も試みる。Cf.H27(行ケ)10120、Cf.H28(行ケ)10103、Cf.H29(行ケ)10013
「…原告は,引用発明1がゴム成分の改良という化学的な解決方法を採用したのに対し,引用発明2はタイヤの構成の改良という機械的な解決方法を採用したものであるから,両者の技術的思想は全く異なること及び両者はタイヤに適用される箇所も異なることを根拠として,両者の間に直接の関連性は認められず,これらを組み合わせることによって,相違点1に係る本願発明の構成とすることはできない旨主張する。…
…しかし,…両者のいずれも,サイド補強層が配設された空気入りタイヤにおいて,ランフラット走行状態になったとき,サイド補強層が高温に達して耐久性に悪影響を与えるという問題の解決を課題としている。そして,引用発明1のみによって上記問題が完全に解消されるとは考えられず,当業者としては,上記問題の解決をより完全なものに近付けるために,同じ問題を解決し得る手段が他にあるのであれば,その採用を試みるものということができる。
(4)平成23年(行ケ)第10298号「マルチレイヤー記録担体」事件<滝澤裁判長>
引用発明と本願発明との課題が異なるが、容易想到とされた。H21(行ケ)10123同旨
「…本件補正発明が「均一な光透過率とすることにより,下方情報層へのデータ書き込みに悪影響を与えないようにするという」という課題を有するものであり,他方,引用発明は,このような課題を有するものではないとしても,異なる技術的課題の解決を目的として同じ解決手段(構成)に到達することはあり得るのであり,実際,引用発明に上記周知技術を適用することにより,相違点1に係る本件補正発明の構成とした場合には,各情報層はギャップが存在しないものとなる以上,引用発明が複数の情報層を備えていないからといって,本件補正発明と同様の構成とすることが想到し得ないということはでき…ない。」
(5)平成21年(行ケ)第10123号「ベルト伝動装置」事件<滝澤裁判長>
引用発明の課題とは反しても、別の課題(本願発明の課題)に従って、設計変更が容易想到とされた。H23(行ケ)10298同旨
「引用発明は…のために,β>α,γ<αの構成を採用したものであるから,引用発明の課題を解決しようとする限りにおいて,引用発明のβ>αの構成を維持したまま,γについてだけ,γ<αの構成をγ=αの構成に置き換えることは,当業者が通常行わないものである…。
しかしながら,上記説示したとおり,本願発明の課題は,引用発明のそれと異なり,ハス歯ベルトに片寄り力が作用する結果生じるβ及びγとαとの間のずれに伴うハス歯ベルトの歯先と原動ハス歯プーリ及び従動ハス歯プーリの各歯先との不適切な干渉を除去することにあり,そのような課題を解決するためであれば,引用発明のβ>αの構成を維持したままγ=αの構成を採用することは,上記説示したとおり,当業者が通常の創作能力の範囲内で行い得るものというべきである…。」
【本判決の引用(進歩性判断を覆した判示部分)】
⑵ 相違点3(非加圧流路)について
ア 当裁判所は,甲1発明に,甲2ないし5に記載された周知技術を適用し,加圧ポンプ140や空所134を経由しない経路を設ける手段(手段1)により,バランスピストンのピストン室にオイルをポンプで加圧することなく供給し,相違点3に係る本件特許発明の構成を採用することは,容易に想到することができたから,本件審決の相違点3に関する判断は誤りであると判断する。その理由は,以下のとおりである。
イ 逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)の発生という技術的課題
甲2に記載された技術事項は前記1⑵ウのとおりであり,甲2には,「バランスピストンに油ポンプで加圧された潤滑・冷却シール用の圧油を作動油として供給している従来のスクリユー圧縮機においては,特に起動時,圧縮機の吸入側と吐出側の圧力差が大きくならないうちに油ポンプにより吐出された圧力の高い油がバランスピストンにかかることにより,ロータが吐出側に推され,スラスト軸受及びスラスト軸受抑え金などに過大な応力がかかるという課題がある」こと,すなわち,逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)が発生するという技術的課題が示されていた。
そして,甲1発明は,高圧ガスから分離されて冷却されてコンプレツサへと再循環される液体を,ポンプ140を経由してスラストピストン室60に導く経路を設けて形成した液体噴射スクリユウコンプレツサであるが,逆スラスト力が発生しないことを裏付けるような事情はないから,甲1発明は,逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)の発生という技術的課題を有しているものと認められる。
ウ 非加圧流路の設定に係る周知技術
(ア) 甲2に記載された技術事項は前記1⑵ウのとおりであり,「バランスピストン32に面するバランスピストン室34に,上記油分離機52の油を加圧することなく導く配管58を設けて形成」したものである。
甲3に記載された技術事項は前記1⑶ウのとおりであり,「シリンダ14のバランスピストン11の第1圧力表面12側に,上記油溜まり部の油を加圧することなく導く配管6及び分岐配管7を設けて形成した,油冷式スクリュー圧縮機1」である。
甲4に記載された技術事項は前記1⑷イのとおりであり,「圧力降下によって減少したねじ圧縮機(スクリュ圧縮機)の出口圧力に対応する圧力の油を,平衡ピストン(バランスピストン)19に面する圧力空間21に導くための油入口孔22を設けて形成した油注入式ねじ形圧縮機」である。
甲5に記載された技術事項は前記1⑸ウのとおりであり,「バランスピストンとして機能するスペーサ16に面する吸入側の作用室19に,油溜30の油を加圧することなく導く配管28を接続した,スクリュ圧縮機」である。
(イ) 前記(ア)のとおり,甲2ないし5には,スクリュ圧縮機において,バランスピストンに圧力を作用させるための空間に,圧縮機から回収された油を加圧することなく導く配管を設けることが記載されていたものであり,それは,本件特許の出願日前に周知の技術事項であったものと認められる。
エ 容易想到性
甲1発明は,逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)の発生という技術的課題を有しており(前記イ),スクリュ圧縮機において,バランスピストンに圧力を作用させるための空間に,圧縮機から回収された油を加圧することなく導く配管を設けることは本件特許の出願日前に周知の技術事項であったから(前記ウ(イ)),甲1発明の上記課題を解決するために,上記の周知の技術事項を適用して,スラストピストン室へ液体を導く経路を非加圧の経路とすることは,当業者が容易に想到することができたものであると認められる。
オ 当事者の主張の検討
(ア) 具体的な構成を前提にその採用の可否を判断することについて
原告は,本件審決が,甲1発明において,相違点3のように液体(オイル)を加圧することなくスラストピストン室60に導くための構成例としては,①加圧ポンプ140や空所134を経由しない経路を設ける手段(手段1)と,②加圧ポンプ140を採用せず,液体を加圧せずに空所134に供給する手段(手段2)とが考えられるとした上で,これらの手段はいずれも甲1発明に適用するに当たって阻害要因があると述べ,進歩性を認めたことについて,どのような構成によって非加圧流路が形成されるのかということなどは構成要件外の事情にすぎないから,非加圧流路を形成するための具体的な構成のうち,ある特定の構成例のみに着目し,その特定の構成例を採用することに阻害要因があると判断した本件審決は誤りであると主張する(前記第3,1⑴イ(イ)a)。
しかし,相違点3に係る本件特許発明の構成のように液体(オイル)を加圧することなくスラストピストン室60に導くためには,スクリュ圧縮機に空所134が存在することを前提とするならば,①加圧ポンプ140がある構成において,加圧ポンプ140や空所134を経由しない経路を設ける手段(手段1)と,②加圧ポンプ140を採用せず,液体を加圧せずに空所134に供給する手段(手段2)のいずれかの構成をとることになると考えられるところであり,本件審決は,考え得る二つの構成について検討したもので,それ以上に具体的な構成を特定してそのような具体的な構成に限って容易想到性を判断したものではないから,このような本件審決の検討方法に誤りはなく,この点に関する原告の主張は,採用することができない。
(イ) 加圧ポンプ140や空所134を経由しない経路を設ける手段(手段1)の採用と甲1発明の技術思想について
a 空所134への液体の集約
被告は,甲1は,甲1発明が,「改良された液体分布機構」として,ポンプ140によって液体を加圧し,さらに,この加圧した液体をいったん空所134に集約した上で「コンプレツサ内の必要な全ての個所」(スラストピストン室60を含む。)に供給するという構成を採用したことを明らかにしており,甲1発明の「改良された液体分布機構」においては,ポンプ140により加圧された液体が,中間ハウジング30に形成された空所134を介することなく供給される個所は,コンプレツサ内に存在しないとし,したがって,スラストピストン室60についてのみ,ポンプ140によって加圧されない液体を空所134を介することなく供給するなどという構成は,甲1発明の技術思想に反するものであって,適用が排斥されていると主張する(前記第3,1⑵イ(イ)c(a))。
甲1には,空所134に関し,「中間ハウジング30はまた,圧力のかかつた液体を分布する空所あるいはマニフオールド134を有している。」(9欄35~37行),「空所134は,コンプレツサベアリングおよびシール,スラストピストン,交叉する穴18と20により形成された作動室,および容量制御バルブ42に対する駆動体の室70に圧力のかかつた液体を分布せしめるためのマニフオールドとして働く。圧力のかかつた液体は,パイプ148,150通路152およびパイプ154を介して空所134から室70に供給される。」(10欄6~13行)と記載され,ポンプ140によって加圧した液体の供給について,いったん空所134に集約した上で「コンプレツサ内の必要な全ての個所」(スラストピストン室60を含む。)に供給するという構成を採用することが記載されているにとどまる。そうすると,ポンプ140により加圧された液体を供給する経路の一部を,あえて空所134を経由しない別の経路として設けるように変更することは,甲1の技術思想に反するものとして,その適用が排斥されているという余地があるとしても,ポンプにより圧力が加えられない液体をスラストピストン室60に供給する非加圧の経路を設ける場合に,これを,ポンプ140及び空所134を経由しないように設けることまでもが排斥されていると解することはできない。したがって,被告の上記主張を採用することはできない。
b 外部への漏出防止
被告は,甲1発明は,コンプレツサ外部へのガス及び液体の漏れという課題の解決のために,中間ハウジング30内の空所134,ポンプ140等により構成される「改良された液体分布機構」を備え,ハウジングのジヨイントを最少とするケースを備えるものであると指摘した上,コンプレツサ外部へのガス及び液体の漏れを減少させるためには,そもそも,内部における液体分布機構も改良してガス及び液体の漏れを減少させることが必要又は有益であるところ,甲1発明において,スラストピストン室へ液体を導く経路を非加圧の経路とすべく,例えば,パイプ138を分岐させ,パイプを増加させ,当該パイプをパイプ172に接続することは,甲1発明の「改良された液体分布機構」にとって著しく不合理な構成であり,このような構成を採用することは,甲1発明の技術思想に反すると主張する(前記第3,1⑵イ(イ)c(b))。
しかし,スラストピストン室へ圧力の加えられていない液体を供給する非加圧の経路を設けるため,ケース内部において,例えば,ポンプ140に至るパイプ138に分岐を設け,これをスラストピストン室60に接続するように構成したとしても,これによって,コンプレツサ外部へのガス及び液体の漏れが必然的に増大するとは認められない。そのため,甲1発明が,コンプレツサ外部へのガス及び液体の漏れという課題の解決のためのものであるとしても,上記のような非加圧の経路を設けることが,甲1発明の「改良された液体分布機構」にとって著しく不合理な構成であるとは認められないし,そのような構成を採用することが甲1発明の技術思想に反するということはできない。したがって,被告の上記主張を採用することはできない。
(ウ) 加圧ポンプ140や空所134を経由しない経路を設ける手段(手段1)を甲1発明に採用することについての阻害事由について
a スラストピストン62,アンギユラコンタクトボールベアリング56へ液体が供給されなくなることによるコンプレツサ10の機能不全
被告は,ポンプ140は,スラストピストン62に適当な力を与えるに充分なだけの液体圧を増加せしめるものであるところ,甲1発明において,スラストピストン室60への液体の経路を非加圧のものとするならば,ポンプ140により「液体圧」を「充分」に「増加せしめ」ることができず,スラストピストン62に「適当な力」を与えることができないため,スラストピストン62のスラスト荷重への対抗が不全となり,コンプレツサ10が機能しなくなると主張し,また,スラストピストン室60,部品7,5の貫通穴を経由してアンギユラコンタクトボールベアリング56に液体を供給し続けることができなくなって,アンギユラコンタクトボールベアリング56は,その温度が許容温度を超えて上昇して損傷し,コンプレツサ10が機能しなくなると主張する(前記第3,1⑵イ(イ)d(a))。
しかし,甲2ないし5には,スクリュ圧縮機において,バランスピストンに圧力を作用させるための空間に,圧縮機から回収された油を加圧することなく導く配管を設けることが記載されており,それは,本件特許の出願日前に周知の技術事項であったから(前記ウ(イ)),加圧していない油(液体)によって,バランスピストン(スラストピストン)に,スラスト力をバランスさせるために必要な力を与えているスクリュ圧縮機は,本件特許の出願日前に周知であったものと認められる。また,甲1発明において,アンギユラコンタクトボールベアリング56への液体供給がどのように行われているかは不明であって,スラストピストン室60から,部品7,5の貫通穴を経由して液体が供給されていると一義的に解することはできず,仮にそのように液体が供給されているとしても,スラストピストン室60に供給される液体を非加圧にすることで,直ちにアンギユラコンタクトボールベアリング56への供給不足が生じることを裏付ける証拠はない。これらのことに照らすと,スラストピストン室60への液体の経路を非加圧のものとすることにより,コンプレツサ10が機能しなくなると認めることはできず,被告の上記主張は採用することができない。
b フイルタ146を経由しないことによるコンプレツサ10の機能不全
被告は,加圧ポンプ140や空所134を経由しない経路を設けると,スラストピストン室60に供給される液体がフイルタ146を迂回することになるので,異物(ロータ同士の接触により生ずる金属くず・鉄粉,液体の化学反応により生ずる不物等)がスラストピストン室60に到達して詰まり等が生じることなどの不都合があり,ひいてはコンプレツサ10が機能不全に陥るとし,甲1発明において,スラストピストン室60に液体を供給する構成を,ポンプ140・フイルタ146・空所134を迂回するものの他のフイルタを通過してスラストピストン室60に至る構成に改変しようとすると,フイルタ146とは別個のフイルタの追加が必要となり,更にはそれに応じた液体パイプ・液体パイプ接合の追加等が必要となるため,甲1発明がコンプレツサ外部の液体パイプ接合の数を最少としようとしている趣旨等に反し,そのような構成を採用することには,やはり阻害要因があると主張する(前記第3,1⑵イ(イ)d(b))。
しかし,スラストピストン室60に供給される液体がフイルタ146を迂回したとしても,圧縮機全体での液体の循環が繰り返される中で,大部分の異物はいずれはフイルタ146を通って除去されることになるし,必要であれば,ポンプの前にフイルタを経由するように構成を変更し,ポンプにより圧力を加えられる液体も,圧力を加えられない液体もフイルタを通過するようにするなどの対応を取ることもできるから,コンプレツサ10が機能しなくなるとは認められない。また,このように構成を変更するとしても,それによってコンプレツサ外部の液体パイプ接合の数が著しく増えるとする根拠はない。したがって,被告の上記主張を採用することはできない。
c 非加圧の経路を設ける動機付け
被告は,甲1には,逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)の発生という技術的課題について記載も示唆もなく,甲1発明に,逆スラスト荷重解消のために非加圧の経路を設けるという動機付けはない旨主張する(前記第3,1⑵イ(イ)d(c))。
甲1の10欄24~26行に「圧力軽減バルブ164は,空所134中の液体圧を制限し」と記載されていることから,圧力軽減バルブ164を設けた目的は,空所134の過剰な昇圧を防止することにあり,逆スラスト荷重状態を解消することではないと解される。しかし,前記イのとおり,甲2には,「バランスピストンに油ポンプで加圧された潤滑・冷却シール用の圧油を作動油として供給している従来のスクリユー圧縮機においては,特に起動時,圧縮機の吸入側と吐出側の圧力差が大きくならないうちに油ポンプにより吐出された圧力の高い油がバランスピストンにかかることにより,ロータが吐出側に推され,スラスト軸受及びスラスト軸受抑え金などに過大な応力がかかるという課題がある」こと,すなわち,逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)が発生するという技術的課題が示されている。そして,上記のような逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)の発生の機序を踏まえると,当業者であれば,逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)の発生という課題は,特殊な構造のスクリュ圧縮機に特有のものではなく,スクリュ圧縮機一般に生じることを認識することができるものと認められ,甲1発明のスクリユウコンプレツサ(スクリュ圧縮機)にも生じることを認識することができるものと認められる。このように,甲1発明についても,逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)の発生という課題を認識できることから,そのような課題を解決するために,逆スラスト荷重解消のために非加圧の経路を設けるという動機付けも生じるものと認められる。そうすると,逆スラスト力(逆スラスト荷重状態)が発生するという技術的課題やその課題の解消について甲1に直接の言及がないとしても,そのような課題を解決するために甲1発明に非加圧の経路を設けるという動機付けが生じるものと認められる。したがって,被告の上記主張を採用することはできない。
3 以上によれば,本件特許発明は,甲1発明に,甲2ないし甲5に記載された周知技術を適用して当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができず,本件特許は特許法123条1項2号の規定により無効とすべきものであると認められ,取消事由1(無効理由1に関する進歩性の判断の誤り)は理由がある。
よって,本件審決を取り消すこととし,主文のとおり判決する。
執筆:高石秀樹(弁護士・弁理士)(特許ニュース令和4年8月1日の原稿を追記・修正したものです。)
監修:吉田和彦(弁護士・弁理士)
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