まえがき
1914年、特許局長を退任なさった中松盛雄先生により創立された当事務所は、盛雄先生からそのご長男で、日弁連会長などをお務めになった中松澗之助先生に承継され、1973年3月、中松澗之助先生が急逝なさったため、私が中心になって、事務所の再建、新組織の形成にあたることになり、現在の中村合同特許法律事務所、当事務所が発足しました。
当事務所は、それまでの中松事務所は、形式はともかくとして、実際は中松先生の個人事務所でしたが、当事務所の新たな組織では、完全なパートナー制を採用、真に弁理士、弁護士として学識、経験に富み、指導力があり、しかも経営感覚のあるものだけがパートナーとして運営にあたることとし、かつ、パートナーにも定年制を設け、原則として、定年に達したパートナーは退職し、一方新しいパートナーの選任を行って、つねに新鮮な活力を注入し、弁理士、弁護士として最高に質の高いサービスを提供できるよう、活性あふれる経営主体が維持される仕組みを採用しました。その上で、パートナーの中から単数または複数の代表パートナーを選任することとし、事務所経営の責任体制を明確にしたのです。
その後、すでに半世紀に近い歳月が経過し、現在、当事務所は特許庁、裁判所を初め、多くの企業の間で、高度の信用と名声を得ているのではないかと考えております。これも、このような経営体制の下における、歴代のパートナー、代表パートナーの尽力と相互的信頼関係、彼らに協力してくださった所員の皆さんの貢献によることが多いと私は感じております。それ故、私は今後も当事務所が弁理士、弁護士が最高に質の高いサービスを提供できる事務所として存続することを心から願っております。
中村 稔