◆判決本文
本件は、a社のセンサ事業所管の元専務取締役で役員・技監である被告人b及び生産技術部長である被告人cが、平成25年4月9日、a社保有の磁気センサのワイヤ整列工程に係る技術上の営業秘密を、打合せにおいて、他の装置メーカの従業員dに対し、不正開示したとして、営業秘密侵害罪で起訴された事案である。
名古屋地裁は、被告人両名が本件打合せにて他の装置メーカの従業員dに説明した技術上の情報は、一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえないので、営業秘密の三要件のうち非公知性の要件を充足しないとして、被告人両名を全部無罪とし、同無罪判決が確定した。
1.検察官主張工程と本件打合せ説明情報と本件実開示情報について
(1)検察官主張工程について
㋐ 引き出しチャッキングと呼ばれるつまみ部分(以下「チャック」という。)がアモルファスワイヤをつまみ、一定の張力を掛けながら基板上方で右方向に移動する。
㋑ アモルファスワイヤに張力を掛けたまま仮固定する。
㋒ 基板を固定した基板固定台座を上昇させ、仮固定したアモルファスワイヤを基準線として位置決め調整を行う。
㋓ 基板固定台座を上昇させ、アモルファスワイヤを基板の溝及びガイドに挿入させ、基板固定治具に埋め込まれた磁石の磁力で仮止めする。
㋔ 基板の左脇でアモルファスワイヤを機械切断する。
㋕ 基板固定台座が下降し、次のアモルファスワイヤを挿入するために移動する。
㋖ 以下㋐ないし㋕を機械的に繰り返す。
(2)本件打合せ説明情報について
㋐ チャックが、ワイヤ供給部から直径5ないし10μmのアモルファスワイヤをつまみ、ワイヤに張力を掛けて、最大分速1.2mの引込速度で、基板上方で右方向に移動する。
㋑ アモルファスワイヤに、まっすぐぴんと張る程度に張力を掛けて、基板の左脇で、2つの棒状のもので「仮押さえ」をする方法により仮固定する。
㋒ 60mm四方のシリコン製基板を固定した台座を上昇させ、アモルファスワイヤと基板の溝等との位置決め調整を行う。
㋓ アモルファスワイヤを、基板に設けられた50μm間隔のピンの間等に挿入させ、基板固定台座に磁石を埋め込んだ治具を設置し、その磁石の磁力で仮止めする。
㋔ 上記㋑記載の2つの棒状のものの間で、張力を掛けたままYAGレーザで切断する。
㋕ 基板固定台座が下降し、次のアモルファスワイヤを挿入するために移動する。各ワイヤの間隔を200ないし300μmとし、基板を50μmずつ動かす機構と1μmずつ動かす機構の2つの動きが必要になる。
㋖ 以下㋐ないし㋕の工程を機械的に繰り返す。
(3)本件実開示情報について
㋐ チャックがワイヤをつまみ、基板上方で右方向に移動する。
㋑ ワイヤに張力を掛けたまま仮固定する。
㋒ 基板を固定した基板固定台座を上昇させ、ワイヤと基板の溝等の位置決め調整を行う。
㋓ 基板固定台座を上昇させ、ワイヤを基板の溝等に挿入させ、基板固定治具に埋め込まれた磁石の磁力で仮止めする。
㋔ ワイヤを切断する
㋕ 基板固定台座が下降し、次のワイヤを挿入するためにY軸方向に移動する。
㋖ 以下㋐ないし㋕の工程を機械的に繰り返す。
2.本件実開示情報の非公知性に関する裁判所の判断
本件実開示情報がa社の営業秘密であるとは認められない。
すなわち、本件打合せ説明情報は、アモルファスワイヤを基板上に整列させる工程に関するものではあるが、a社のワイヤ整列装置の機能・構造、同装置等を用いてアモルファスワイヤを基板上に整列させる工程と大きく異なる部分がある。また、本件実開示情報は、アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ、余りにも抽象化、一般化されすぎていて、一連一体の工程として見ても、ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので、一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。そうすると、本件実開示情報は、非公知性があるとは認められない。
3.検察官の主張に対する裁判所の判断
本件打合せにおいて、被告人両名は、a社のワイヤ整列装置の1号機ないし3号機の機能及び構造、各装置を用いてワイヤを基板上に整列させる工程そのものを開示したわけではない。そして、複数の情報の総体としての情報については、なお、当該情報が非公知である、というためには、組合せの容易性、取得に要する時間や資金等のコスト等を考慮し、営業秘密保有者の管理下以外で一般的に入手できるかどうかによって判断されるべきであるが、本件実開示情報は、真の工夫に関する情報がそぎ落とされ、組合せとして見ても、一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。
ある工程に関する説明内容と被侵害者の保有する工程に関する営業秘密を比較する場合、真実、被侵害者の保有する営業秘密とは異なる情報であったとしても、その課題、目標が共通のものであると、両者を抽象化、一般化していくと、いずれかの段階で、何らかの共通部分を見いだすことが可能になる場合がほとんどである。アモルファスワイヤを基板上に並べる、という課題、目標についていえば、ワイヤがリールに巻かれて販売されているのであるから、通常の工程としては、リールから引き出すなどしてワイヤを直線状にすることが必要になる。また、基板上に並べる場所とワイヤの位置合わせも必要になる。さらに、ワイヤを切断することも必要になる。そして、2本以上のワイヤを基板上に並べるのであれば、そのような工程を機械的に繰り返す必要がある。これらの工程が必要になること自体は、容易に知ることができ、工程の内容も、抽象化、一般化されていくと、ありふれた工程に近づいていき、一般的に知られているか容易に知ることができる内容に成り下がってしまう。
ある工程に関する説明内容と被侵害者の保有する工程に関する営業秘密を比較して、両者の技術情報の違いが大きかったり、説明内容から真の工夫がそぎ落とされたりした場合には、工程を相当抽象化、一般化していって初めて共通部分を見いだすことができることになる。本件打合せにおける被告人両名のワイヤ整列工程に関する説明内容は、工程における重要なプロセスに関してa社のワイヤ整列装置の工程と大きく異なる部分があったり、a社の保有するワイヤ整列工程に関する営業秘密の真の工夫がそぎ落とされたりしたために、a社の営業秘密と共通する部分としては、一般的に知られているか容易に知ることができる内容になってしまったといわざるを得ない。
1.はじめに
営業秘密の保護強化のための平成27年不正競争防止法改正前・後より営業秘密侵害刑事事件が増加しており、例えば過去10年における営業秘密侵害事犯の検挙事件数は、平成26年の11件から令和5年の26件へと2倍を超えるに至っている(警察庁生活安全局生活経済対策管理官「令和5年における生活経済事犯の検挙状況等について」(令和6年4月)20頁)。そして、かかる営業秘密侵害刑事事件の増加傾向は、さらに営業秘密の保護を強化し、国際的な営業秘密侵害事案に係る手続を明確化した令和5年改正不正競争防止法の令和6年4月1日からの施行によって、強まりこそすれ、弱まることはないであろうことが予想される。一方、かかる増加傾向の営業秘密侵害刑事事件においても、一般には、日本の刑事裁判一般(地裁の刑事通常第一審事件の終局区分に係る最高裁判所事務総局「令和4年司法統計年報概要版2刑事編」(令和5年8月)5頁参照)と同様に、有罪率が極めて高いであろうことが想定される。もっとも、かかる状況の下で、近時、本件を含めて3件の全部無罪判決が下されており(他に被疑侵害者に由来・化体する有用性・非公知性の乏しい顧客情報の秘密管理性を否定した津地判令4・3・23(令2(わ)282号)LEX/DB25592281及び重要で非公知性・有用性が高い得意先電子元帳記載情報の秘密管理性を秘密管理措置の不十分を理由に否定して地裁の有罪判決を破棄した札幌高判令5・7・6(令5(う)74号)2023WLJPCA07066001)、その原因も含めて注目されるところである。
2.判決要旨1~3について
(1)技術情報の秘匿化戦略における抽象化・一般化戦術
企業等において、自己保有の技術情報の保護戦略として秘匿化による場合に、一般に、不正競争防止法上の営業秘密としての法的保護を受けると共に、その弱点である同一の技術情報に係る第三者の特許化への対応策として、特許法上の先使用権による法的保護を受けるために、当該技術情報を化体・具現化した、研究開発段階及び事業段階の日常業務における原資料の証拠化が行われ得る。
もっとも、かかる原資料それ自体のみの証拠化だけでは、かかる法的保護を受けるためには、必ずしも十分ではないことが少なくない。なぜなら、実際の技術情報の盗用・冒認事例では、盗用・冒認者による保有者の実施態様の一部流用や改変が多く、盗用・冒認の実施態様と保有者の技術情報との同一性が問題になり易く、また、実際の特許発明の先使用の事例では、先使用者による先使用の実施形式の事後変更が多く、発明思想説(最二小判昭61・10・3民集40巻6号1068頁)の下で変更後の実施形式と先使用発明との同一性が問題になり易いからである。
かかる状況の下で、原資料に化体・具現化された技術情報を更に予め明細書化・クレーム化して技術的思想レベルで証拠化しておくことが考えられ、実際、先進企業等においては、「公開前取下げで公開はせずに、先使用又は営業秘密の立証資料として用いるため」に、特許「出願当初から審査請求をしない予定の出願をする」例が散見されるところである(知的財産研究所「出願公開制度に関する調査研究報告書」(平成27年3月)146頁)(但し、特許要件としての新規性等と営業秘密の保護要件としての非公知性等との相違に留意する必要がある)。
このように原資料に化体・具現化された技術情報の技術的思想レベルでの抽象化・一般化それ自体は、技術情報の秘匿化戦略における戦術としても実際に行われており、直ちに許されないものではない。
(2)抽象化・一般化された技術情報の同一性と非公知性の判断
もっとも、特に営業秘密侵害事案で、技術情報を化体・具現化した原資料それ自体が開示・取得等された場合には、技術情報の同一性の判断・その手法は問題になり難いのに対し、本件のように原資料に化体・具現化された技術情報が抽象化・一般化されて開示・取得等された場合には、原資料に化体・具現化された技術情報とこれを抽象化・一般化して開示・取得等された技術情報との同一性の判断・その手法が問題になり易く、また、本件のように原資料に化体・具現化された技術情報を抽象化・一般化して開示・取得等された技術情報の非公知性の判断・その手法が問題になり易い。
(3)二段階テストと濾過テスト
ところで、著作権侵害事案に係る著作権法上の原告著作物と被告著作物との創作的表現の類否の判断手法として、一般に、二段階テストと濾過テストとが用いられ得る。二段階テストとは、原告著作物の表現の創作性を認定してから、原告著作物の創作的表現が被告著作物に再生されているかどうかを判断する手法である。これに対し、濾過テストとは、原告著作物と被告著作物との共通部分が創作的表現かどうかを判断する手法である。
そして、これらと同様に、営業秘密侵害事案に係る不正競争防止法上の保有者保有の技術情報と被疑侵害者開示・取得等の技術情報との同一性の判断手法や被疑侵害者開示・取得等の技術情報の非公知性の判断手法として、二段階テスト類似の判断手法のみならず、濾過テスト類似の判断手法を用いることが考えられ(山根崇邦「営業秘密侵害における秘密管理性要件および濾過テストの意義―二つの無罪判決を素材として―」L&T100号71頁)、実際、裁判例上、ソフトウェアのソースコードの同一性ひいては被疑侵害者による保有者の営業秘密の「使用」を濾過テスト類似の判断手法を用いて否定したと理解されるものがある(知財高判令元・8・21金商1580号24頁)。
(4)判決要旨1~3について
かかる状況の下で、判決要旨1~3は、濾過テスト類似の判断手法により、会社保有の技術情報を従業者にて抽象化・一般化して開示した技術情報について、非公知性を否定したものである。
1.「結論」
「本件打合せにおいて被告人両名がeに実際に説明した,ワイヤ整列工程に関する情報のうち,検察官主張工程と共通する部分(以下「本件実開示情報」という。)がbの営業秘密であるとは認められない。
すなわち,被告人両名が説明した情報は,アモルファスワイヤを基板上に整列させる工程に関するものではあるが,bのワイヤ整列装置の機能・構造,同装置等を用いてアモルファスワイヤを基板上に整列させる工程と大きく異なる部分がある。また,本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。そうすると,本件実開示情報は,非公知性があるとは認められない。」
2.「bの工程と大きく異なる部分」
「本件打合せにおいて被告人両名が説明した情報は,bのワイヤ整列装置の工程と重要なプロセスに関して,大きく異なる部分がある。すなわち,工程㋑に関して,bのワイヤ整列装置では,なるべくアモルファスワイヤに応力を加えないようにするために,基板の手前にシート磁石が埋め込まれた溝(「ガイド」)を設置したり,切断刃近くに磁石を設置したりしてワイヤの位置を保持し,チャック以外では,ワイヤになるべく触れずに挟圧しない方法が採られている(ただし,3号機では,「ワイヤロック」による挟圧はされている。)
これに対し,被告人両名が説明した情報は,前記のとおり,まっすぐにぴんと張る程度に張力を掛けて引き出されたワイヤを2つの棒状のもので「仮押さえ」をするというものである。この工程は,ワイヤを基板の溝等に挿入して整列させる工程において,「ワイヤ引き出し」,「仮固定」,「切断」といった重要なプロセスに関するものである。被告人両名が説明した情報は,bのワイヤ整列装置の工程と重要なプロセスに関して大きく異なるところがある。」
3.「一連一体の工程としての非公知性」
「本件実開示情報は,一連一体の工程として見ても,非公知性の要件を満たすとはいえない。
すなわち,被告人両名は,前記のとおり,アモルファスワイヤの特性を踏まえ,基板上にワイヤを精密に並べる上で重要になるはずのbのワイヤ整列装置に備わっている工夫に関する情報,例えば,位置決め調整におけるCCDカメラの活用,ワイヤ引き出し時(送り出し時)におけるモーターの回転方法,ワイヤの仮固定における「ガイド」等の機構,基板上の溝等に仮止めする際の磁石の配置,ワイヤがチャックに付着し続けないようにするための工夫等について,eに対して説明していない。
また,本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるために重要となるはずの情報がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。」
4.「検察官の主張に対する判断」
「確かに,1号機ないし3号機は,bが独自に開発したものであり,アモルファスワイヤの特性を踏まえ,基板上にワイヤを精密に並べるための工夫が含まれた工程そのものは,非公知性の要件を満たすと考えられる(秘密管理性,保有者性等については別途検討する。)。また,ある情報の断片が様々な公刊物に掲載されるなどして,その断片を集めてきた場合,当該営業秘密たる情報に近い情報が再構成され得るからといって,そのことをもって直ちに非公知性が否定されるわけではない。そして,開示者が,営業秘密保有者から入手した営業秘密の一部やそれを抽象化,一般化したものを開示した場合,あるいは,その一部をアレンジして開示した場合であっても,営業秘密を開示したといえる場合もあり得る。さらに,1号機ないし3号機の全てに共通する工程も一応存在するとはいえる。
しかし,本件打合せにおいて,被告人両名は,1号機ないし3号機の機能及び構造,各装置を用いてワイヤを基板上に整列させる工程そのものを開示したわけではない。そして,複数の情報の総体としての情報については,なお,当該情報が非公知である,というためには,組合せの容易性,取得に要する時間や資金等のコスト等を考慮し,営業秘密保有者の管理下以外で一般的に入手できるかどうかによって判断されるべきであるが,本件についていえば,本件実開示情報は,真の工夫に関する情報がそぎ落とされ,組合せとして見ても,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。
ある工程に関する説明内容と被侵害者の保有する工程に関する営業秘密を比較する場合,真実,被侵害者の保有する営業秘密とは異なる情報であったとしても,その課題,目標が共通のものであると,両者を抽象化,一般化していくと,いずれかの段階で,何らかの共通部分を見いだすことが可能になる場合がほとんどである。アモルファスワイヤを基板上に並べる,という課題,目標についていえば,ワイヤがリールに巻かれて販売されているのであるから,通常の工程としては,リールから引き出すなどしてワイヤを直線状にすることが必要になる。また,基板上に並べる場所とワイヤの位置合わせも必要になる。さらに,ワイヤを切断することも必要になる。そして,2本以上のワイヤを基板上に並べるのであれば,そのような工程を機械的に繰り返す必要がある。これらの工程が必要になること自体は,容易に知ることができ,工程の内容も,抽象化,一般化されていくと,ありふれた工程に近づいていき,一般的に知られているか容易に知ることができる内容に成り下がってしまう。
ある工程に関する説明内容と被侵害者の保有する工程に関する営業秘密を比較して,両者の技術情報の違いが大きかったり,説明内容から真の工夫がそぎ落とされたりした場合には,工程を相当抽象化,一般化していって初めて共通部分を見いだすことができることになる。本件打合せにおける被告人両名のワイヤ整列工程に関する説明内容は,工程における重要なプロセスに関してbのワイヤ整列装置の工程と大きく異なる部分があったり,bの保有するワイヤ整列工程に関する営業秘密の真の工夫がそぎ落とされたりしたために,bの営業秘密と共通する部分としては,一般的に知られているか容易に知ることができる内容になってしまったといわざるを得ない。」
【Keywords】営業秘密侵害罪、不正競争防止法2条6項、非公知性、アモルファスワイヤを基板上に整列させる工程、抽象化、一般化、濾過テスト、全面無罪
※本稿の内容は、一般的な情報を提供するものであり、法律上の助言を含みません。
文責:弁護士・弁理士 飯田 圭(第二東京弁護士会)
本件に関するお問い合わせ先:k_iida☆nakapat.gr.jp (☆を@に読み替えてください)