平成29年6月8日(平成28年(行ケ)第10147号)(知財高裁第2部,森裁判長)
(イ) 一般に,飲食品の風味には,甘味,酸味以外に,塩味,苦味,うま味,辛味,渋味,こく,香り等,様々な要素が関与し,粘性(粘度)などの物理的な感覚も風味に影響を及ぼすといえる…。したがって,「甘み」,「酸味」及び「濃厚」という風味の評価試験をするに当たり,糖度,糖酸比及びグルタミン酸等含有量を変化させて,これら三つの要素の数値範囲と風味との関連を測定するに当たっては,少なくとも,①「甘み」,「酸味」及び「濃厚」の風味に見るべき影響を与えるのが,これら三つの要素のみである場合や,影響を与える要素はあるが,その条件をそろえる必要がない場合には,そのことを技術的に説明した上で上記三要素を変化させて風味評価試験をするか,②「甘み」,「酸味」及び「濃厚」の風味に見るべき影響を与える要素は上記三つ以外にも存在し,その条件をそろえる必要がないとはいえない場合には,当該他の要素を一定にした上で上記三要素の含有量を変化させて風味評価試験をするという方法がとられるべきである。
…本件明細書の発明の詳細な説明に記載された風味評価試験の結果から,直ちに,糖度,糖酸比及びグルタミン酸等含有量について規定される範囲と,得られる効果というべき,濃厚な味わいでフルーツトマトのような甘みがありかつトマトの酸味が抑制されたという風味との関係の技術的な意味を,当業者が理解できるとはいえない。
(ウ) また,本件明細書の発明の詳細な説明に記載された風味の評価試験の方法は,…評価の基準となる0点である「感じない又はどちらでもない」については,基準となるトマトジュースを示すことによって揃えるとしても,「甘み」,「酸味」又は「濃厚」という風味を1点上げるにはどの程度その風味が強くなればよいのかをパネラー間で共通にするなどの手順が踏まれたことや,各パネラーの個別の評点が記載されていない。
したがって,少しの風味変化で加点又は減点の幅を大きくとらえるパネラーや,大きな風味変化でも加点又は減点の幅を小さくとらえるパネラーが存在する可能性が否定できず,各飲料の風味の評点を全パネラーの平均値でのみ示すことで当該風味を客観的に正確に評価したものととらえることも困難である。…
サポート要件(特許法36条6項1号)は、特許請求の範囲に記載された発明が,①「発明の詳細な説明に記載された発明」で,②「発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものである」か,また,「発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものである」場合に満たすとされている(知財高判平成17年11月11日(判時1911号48頁)知財高裁大合議判決(偏光フィルム事件))。
この点、「性的障害の治療におけるフリバンセリンの使用」事件(知財高判平成22年1月28日、判時2073号105頁、判タ1334号152頁)(平成21年(行ケ)第10033号)は、「『特許請求の範囲』が『発明の詳細な説明』に記載された技術的事項の範囲のものであるか否かを判断するのに、必要かつ合目的的な解釈手法によるべきであって、特段の事情のない限りは、『発明の詳細な説明』において実施例等で記載・開示された技術的事項を形式的に理解することで足りるというべきである」と判示するとともに、「知財高裁大法廷判決は、①『特許請求の範囲』が、複数のパラメータで特定された記載であり、その解釈が争点となっていること、②『特許請求の範囲』の記載が、『発明の詳細な説明』の記載による開示内容と対比し、『発明の詳細な説明』に記載、開示された技術内容を超えているかどうかが争点とされた事案である。」として、その射程を限定的に解した。
しかしながら、その後の下級審裁判例を概観しても、知財高裁大法廷判決の射程を限定的に解したものは見当たらず、近時は、知財高裁大法廷判決の上記メルクマールは実務上確立していると考えてよい。
本判決は、特許請求の範囲に記載された発明が、官能試験による実施例に照らしても、サポート要件を満たさないとして、特許維持審決を取り消した判決である。
平成28年頃から、裁判所におけるサポート要件の判断が厳しくなってきた傾向が見られるところ、本判決も、そのような傾向を示す一事例といえる。
本判決は、大別して、2つの理由でサポート要件を満たさないとした。
本判決の上記判示①②は、一般論としては理解できるところであるが、これまでの裁判例はサポート要件をこのように厳しく判断してこなかったため、実務家としては重く受け止める必要がある。今後の特許出願においては、官能試験の実施例・比較例を構築する際に、このような観点を採り入れることが重要であるといえよう。
ただし、上記判示①については、評価対象である風味等に見るべき影響を与える成分や物性をすべて把握することは現実的に困難な場合が多いと考えられるため、まずはクレームアップされた特定のパラメータ以外は可能な限り一定とする実施例・比較例の構築を検討すべきであろう。また、上記判示②への対応の一部として、評価点数の基準を「やや」、「かなり」、「非常に」などの観念的な表現を用いず、可能な限り具体的な表記とすることが考えられる。
(参考)官能試験の実施例・比較例による特許について、明確性要件(特許法36条6項2号)が判断された事例(下掲<2><3>事件は、原被告共通)
<1> 平成26年(行ケ)第10117号(「食品の風味向上法」事件)
*官能試験(数値限定無)⇒明確性要件○(サポート要件は争点とされなかった。)
【請求項1】食塩含有食品に,シュクラロースを添加することを特徴とする食塩含有食品の風味向上法
「…実験例1及び2において,シュクラロースの塩なれ効果は,パネル10名による官能により四段階の判断基準に分けて評価され,『± やや塩味がやわらげられていると感じる。』という段階ではなく,『— 塩味がやわらげられ,刺激を丸く感じる。』という段階となって初めて『塩なれ効果』があるとされていることに照らせば,『刺激を丸く感じる』との評価についての判断基準は特定されており,不明りょうであるとはいえない。」
<2> 平成25年(行ケ)第10172号(「渋味のマスキング方法」事件)
*官能試験(数値限定有)の測定方法が明細書に記載なし⇒明確性要件×(サポート要件は判断されなかった。)
【請求項1】 茶,紅茶及びコーヒーから選択される渋味を呈する飲料に,スクラロースを,該飲料の0.0012~0.003重量%用いることを特徴とする渋味のマスキング方法。
「甘味閾値の測定方法が訂正明細書に記載されていなくとも,極限法で測定したと当業者が認識するほど,極限法が甘味の閾値の測定方法として一般的であるとまではいえず,また,極限法は人の感覚による官能検査であるから,測定方法等により閾値が異なる蓋然性が高いことを考慮するならば,特許請求の範囲に記載されたスクラロース量の範囲である0.0012~0.003重量%は,上下限値が2.5倍であって,甘味閾値の変動範囲(ばらつき)は無視できないほど大きく,『甘味の閾値以下の量』すなわち『甘味を呈さない量』とは,0.0012~0.003重量%との関係でどの範囲の量を意味するのか不明確であると認められるから,結局,『甘味を呈さない量』とは,特許法36条6項2号の明確性の要件を満たさない…。」
<3> 平成25年(行ケ)第10271号(「アルコール飲料の風味向上剤」事件)
*官能試験(数値限定無)⇒明確性要件×(サポート要件も同じ理由で×。)
【請求項1】シュクラロースからなることを特徴とするアルコール飲料の風味向上剤
「…アルコールは,甘味,苦味,酸味,その混合,『灼く(やく)ような味』など複数の風味を有するところ,本件明細書においては,シュクラロースの添加がアルコールの苦味及びバーニング感を抑えることは確認されているものの,アルコールの有する複数の風味のうちそれら2つの風味のみを特異的に抑えることまでは確認されておらず,しかも,『アルコールの軽やか風味を生かしたまま』であるか否かは明らかにされていない。また,…本件明細書は,『アルコールの軽やか風味』を,アルコールに起因する『苦味』及び『バーニング感』と併存するものとして位置付けているものと認められるところ,本件明細書上,これらの関係は不明であり,したがって,『苦味』及び『バーニング感』の抑制によって,『アルコールの軽やか風味を生かす』という効果がもたらされるか否かも,不明といわざるを得ない。」
…本件明細書の発明の詳細な説明には,濃厚な味わいでフルーツトマトのような甘みがありかつトマトの酸味が抑制された,新規なトマト含有飲料及びその製造方法,並びに,トマト含有飲料の酸味抑制方法を提供するための手段として,本件発明1,8及び11に記載された糖度,糖酸比及びグルタミン酸等含有量の数値範囲,すなわち,糖度について「9.4~10.0」,糖酸比について「19.0~30.0」,及びグルタミン酸等含有量について「0.36~0.42重量%」とすることを採用したことが記載されている。
そして,本件明細書の発明の詳細な説明に開示された具体例というべき実施例1~3,比較例1及び2並びに参考例1~10(【0088】~【0090】,【表1】)には,各実施例,比較例及び参考例のトマト含有飲料のpH,Brix,酸度,糖酸比,酸度/総アミノ酸,粘度,総アミノ酸量,グルタミン酸量,アスパラギン酸量,及びクエン酸量という成分及び物性の全て又は一部を測定したこと,及び該トマト含有飲料の「甘み」,「酸味」及び「濃厚」という風味の評価試験をしたことが記載されている。
(イ) 一般に,飲食品の風味には,甘味,酸味以外に,塩味,苦味,うま味,辛味,渋味,こく,香り等,様々な要素が関与し,粘性(粘度)などの物理的な感覚も風味に影響を及ぼすといえる(甲3,4,62)から,飲食品の風味は,飲食品中における上記要素に影響を及ぼす様々な成分及び飲食品の物性によって左右されることが本件出願日当時の技術常識であるといえる。また,トマト含有飲料中には,様々な成分が含有されていることも本件出願日当時の技術常識であるといえる(甲25の193頁の表—5—196参照)から,本件明細書の発明の詳細な説明に記載された風味の評価試験で測定された成分及び物性以外の成分及び物性も,本件発明のトマト含有飲料の風味に影響を及ぼすと当業者は考えるのが通常ということができる。したがって,「甘み」,「酸味」及び「濃厚」という風味の評価試験をするに当たり,糖度,糖酸比及びグルタミン酸等含有量を変化させて,これら三つの要素の数値範囲と風味との関連を測定するに当たっては,少なくとも,①「甘み」,「酸味」及び「濃厚」の風味に見るべき影響を与えるのが,これら三つの要素のみである場合や,影響を与える要素はあるが,その条件をそろえる必要がない場合には,そのことを技術的に説明した上で上記三要素を変化させて風味評価試験をするか,②「甘み」,「酸味」及び「濃厚」の風味に見るべき影響を与える要素は上記三つ以外にも存在し,その条件をそろえる必要がないとはいえない場合には,当該他の要素を一定にした上で上記三要素の含有量を変化させて風味評価試験をするという方法がとられるべきである。
前記(3)のとおり,本件明細書の発明の詳細な説明には,糖度及び糖酸比を規定することにより,濃厚な味わいでフルーツトマトのような甘みを有しつつも,トマトの酸味が抑制されたものになるが,この効果が奏される作用機構の詳細は未だ明らかではなく,グルタミン酸等含有量を規定することにより,トマト含有飲料の旨味(コク)を過度に損なうことなくトマトの酸味が抑制されて,トマト本来の甘味がより一層際立つ傾向となることが記載されているものの,「甘み」,「酸味」及び「濃厚」の風味に見るべき影響を与えるのが,糖度,糖酸比及びグルタミン酸等含有量のみであることは記載されていない。また,実施例に対して,比較例及び参考例が,糖度,糖酸比及びグルタミン酸等含有量以外の成分や物性の条件をそろえたものとして記載されておらず,それらの各種成分や各種物性が,「甘み」,「酸味」及び「濃厚」の風味に見るべき影響を与えるものではないことや,影響を与えるがその条件をそろえる必要がないことが記載されているわけでもない。そうすると,濃厚な味わいでフルーツトマトのような甘みがありかつトマトの酸味が抑制されたとの風味を得るために,糖度,糖酸比及びグルタミン酸等含有量の範囲を特定すれば足り,他の成分及び物性の特定は要しないことを,当業者が理解できるとはいえず,本件明細書の発明の詳細な説明に記載された風味評価試験の結果から,直ちに,糖度,糖酸比及びグルタミン酸等含有量について規定される範囲と,得られる効果というべき,濃厚な味わいでフルーツトマトのような甘みがありかつトマトの酸味が抑制されたという風味との関係の技術的な意味を,当業者が理解できるとはいえない。
(ウ) また,本件明細書の発明の詳細な説明に記載された風味の評価試験の方法は,前記(3)のとおりであるところ,評価の基準となる0点である「感じない又はどちらでもない」については,基準となるトマトジュースを示すことによって揃えるとしても,「甘み」,「酸味」又は「濃厚」という風味を1点上げるにはどの程度その風味が強くなればよいのかをパネラー間で共通にするなどの手順が踏まれたことや,各パネラーの個別の評点が記載されていない。したがって,少しの風味変化で加点又は減点の幅を大きくとらえるパネラーや,大きな風味変化でも加点又は減点の幅を小さくとらえるパネラーが存在する可能性が否定できず,各飲料の風味の評点を全パネラーの平均値でのみ示すことで当該風味を客観的に正確に評価したものととらえることも困難である。また,「甘み」,「酸味」及び「濃厚」は異なる風味であるから,各風味の変化と加点又は減点の幅を等しくとらえるためには何らかの評価基準が示される必要があるものと考えられるところ,そのような手順が踏まれたことも記載されていない。そうすると,「甘み」,「酸味」及び「濃厚」の各風味が本件発明の課題を解決するために奏功する程度を等しくとらえて,各風味についての全パネラーの評点の平均を単純に足し合わせて総合評価する,前記(3)の風味を評価する際の方法が合理的であったと当業者が推認することもできないといえる。
以上述べたところからすると,この風味の評価試験からでは,実施例1~3のトマト含有飲料が,実際に,濃厚な味わいでフルーツトマトのような甘みがありかつトマトの酸味が抑制されたという風味が得られたことを当業者が理解できるとはいえない。
(エ) なお,糖度とグルタミン酸等含有量を,本件明細書の発明の詳細な説明【0090】【表1】に記載されている実施例1と同じく,「9.4」,「0.42」とした上,糖酸比を本件特許請求の範囲の下限値である「19.0」とした場合,酸度は「約0.49」となるから,酸味の評価が実施例1(酸度は約0.34)よりも下がる可能性が高い。仮に酸味の評価が「—0.6」となれば,甘み「0.8」,濃厚「1.0」(実施例1の評価)であるので,合計の評点は「2.4」となり,酸味の評価が「—0.5」となれば,合計の評点は「2.3」となり,酸味の評価が「—0.4」となれば,合計の評点は「2.2」となるところ,これらが総合評価において本件発明の効果を有するとされるものかどうかは明らかでない(本件明細書の発明の詳細な説明【0090】【表1】に記載されている参考例1は「2.4」でも総合評価で「×」とされている。)。
(オ) したがって,本件出願日当時の技術常識を考慮しても,本件明細書の発明の詳細な説明の記載から,糖度,糖酸比及びグルタミン酸等含有量が本件発明の数値範囲にあることにより,濃厚な味わいでフルーツトマトのような甘みがありかつトマトの酸味が抑制されたという風味が得られることが裏付けられていることを当業者が理解できるとはいえないから,本件明細書の特許請求の範囲の請求項1,8及び11の記載が,明細書のサポート要件に適合するということはできない。
(Keywords)官能試験、記載要件、36条、サポート要件、課題、トマト、甘み、酸味、濃厚、グルタミン酸、カゴメ、伊藤園
文責:高石 秀樹(弁護士・弁理士),田代 玄(弁理士)
監修:吉田 和彦(弁護士・弁理士)
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